レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年07月17日
- 登録日時
- 2019/12/25 11:51
- 更新日時
- 2020/03/04 13:23
- 管理番号
- 大分県立郷土-2019-008
- 質問
-
解決
大分空襲の被害状況について、総務省のホームページに「大分駅に立って眺めたら、浜町の海が見渡せた」とあるが、事実か。事実ならば出典はあるか。
- 回答
-
以下の資料を紹介。
【1】『大分の空襲』 大分の空襲を記録する会編 大分の空襲を記録する会 1975年
巻頭 「「大分の空襲」出版によせて 大分市長 佐藤益美」
”思えば昭和二十一年六月中国本土より復員し、沿線の惨状を見るにつけ郷土大分はどうであろうかと案じつつ大分駅頭にたち春日浦の海岸まで見通せるまでに焦土と化した大分の市街地を見た時は、茫然自失の感がし、想像を越える被害に空襲時の惨状を思い慄然としたことがきのうの事の様に思い出される。”
p1-16「大分空襲の全容」
p11に、”「大分駅に立ってながめたら、浜町の海が見通せた」といわれるほど、この夜の空襲で大分市の中心街はすっかり焼き尽くされた。戦後発表された記録によると、全焼家屋二千三百五十八戸、半焼百三十戸、焼け出された人一万七百三十人、死者四十九人、負傷者百二十二人とある。”
【2】『大分空襲の記録 米軍資料』 奥住 喜重、工藤 洋三共著 1999年
p147-150 大分駅からも近いトキハ百貨店から東、南東、南、南西、西、北西、北方向の破壊の様子の写真の掲載あり。海が見えるかは確認できないが、大きな被害の様子がわかる。
【3】『大分市史 下』 大分市史編さん委員会編纂 大分市 1988年
p492-493「焼きつくされた中心街」
p492 ”「大分駅に立ってながめたら、浜町の海が見通せた」といわれるほど、大分市の中心街は焼き尽くされた。”
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 戦争.戦略.戦術 (391 10版)
- 参考資料
-
-
大分の空襲を記録する会 編 , 大分の空襲を記録する会. 大分の空襲. 大分の空襲を記録する会, 1975.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086950618-00 -
奥住喜重, 工藤洋三 著 , 奥住, 喜重, 1923- , 工藤, 洋三, 1950-. 大分空襲の記録 : 米軍資料. 奥住喜重, 1999.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002825588-00 , ISBN 4990031423 -
大分市史編さん委員会 編纂 , 大分市. 大分市史 下. 大分市, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001910570-00
-
大分の空襲を記録する会 編 , 大分の空襲を記録する会. 大分の空襲. 大分の空襲を記録する会, 1975.
- キーワード
-
- 大分
- 空襲
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271434