レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年09月02日
- 登録日時
- 2021/02/02 15:37
- 更新日時
- 2021/02/02 15:37
- 管理番号
- 松蔭-0002
- 質問
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未解決
戦前戦後に現在の神戸市にある六甲病院付近にあったと思われる女学校の名前を知りたい
- 回答
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増谷高等女学校の可能性が高い。
- 回答プロセス
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『神戸市教育史 第二集』の578pに
本市の私学の現状として女子の私立学校は甲南(女子)・松蔭・成徳・山手・啓明・親和・森・家政(現常盤女子)・野田・神戸高等技芸(現塩原女子)・須磨陸高等実践(現須磨ノ浦)・神戸実践(現神戸女子商業)などで、~
と書かれていて、
戦前、現神戸市域にあった報徳商業・増谷高女等は全焼したためついに校地の移転を余儀なくされた。
とあります。そして同書の582pの(私立)高等学校・中学校の部で前述の女子校を見たところ灘区土山町近辺の学校は見当たりません。
(現在ある女学校の親和が土山町に移転したのは昭和62年でした『親和学園創立120周年記念誌』より)。
それで移転した増谷高女を調べますと夙川学院のHPでは昭和8年に魚崎に移転と書かれていますが『夙川学院九十年史』では145pに御影校舎が昭和20年6月5日に全焼したと書かれているので、土山町から徒歩十数分の場所に御影校舎があったと思われます。(魚崎校舎も同年全焼しています)その後移転しています。
ですので戦前・戦後、六甲病院(灘区土山町)の付近に増谷高等女学校(現夙川学院)があったと思われます。
(公立の女学校なら記録が神戸市教育史に掲載されているだろうと思い、見当たらなかったので私立学校を調べました)
- 事前調査事項
- NDC
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- 学校経営.管理.学校保健 (374)
- 参考資料
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神戸市教育史編集委員会 編. 神戸市教育史 第2集. 神戸市教育史刊行委員会, 1964.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001058991-00 - 親和学園創立120周年記念誌 2007年親和学園発行
- 夙川学院九十年史 1971年夙川学院発行
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神戸市教育史編集委員会 編. 神戸市教育史 第2集. 神戸市教育史刊行委員会, 1964.
- キーワード
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- 学校―神戸市―歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293403