レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年02月22日
- 登録日時
- 2024/02/22 14:27
- 更新日時
- 2024/03/16 10:46
- 管理番号
- 2393
- 質問
-
未解決
軍人像、軍神・戦没者の像を建立した時期の全国的傾向のわかる史料・文献をみたい。
①いつごろ建立が始まったか
②全国的に普及したか
③銅像を石像に造りかえることがあったのか
- 回答
-
①~③についてはっきりとした回答は見つからなかった。
下記の資料より、銅像は太平洋戦争中、回収の対象となり供出された。供出された代わりのものがセメント製で作られたという話や、供出を免れた銅像もあった。時期などはバラバラである。また、神社によっては、日露戦争後石碑が増えるなどしたとわかる。
以下の資料を提供
『銅像時代』(715/キノ/)
『銅像めぐり旅』(915.6/シ/)
【参考資料】
国立国会図書館デジタルコレクション『余目町史 下巻』1990
論文「北海道における金属回収令(戦時下)の対象となった銅像」
- 回答プロセス
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(1)国立国会図書館デジタルコレクションでキーワード「軍人像␣石像␣銅像」で検索
→21件ヒット
○軍人銅像建立について記載あり
・『余目町史 下巻』1990
(2)「715」(金属彫刻)の棚をブラウジング
➡『銅像時代』(715/キノ/)・・・P18~、P218~、P220~ 銅像に関する参考となる内容
(3)インターネットにて「戦前␣銅像」とキーワードで検索
➡論文「北海道における金属回収令(戦時下)の対象となった銅像」
(4)業務システムにて「軍人␣像」や「軍神␣像」で検索
➡参考になる資料は出てこなかった。
業務システムにて「銅像」で検索
➡『銅像めぐり旅』(915.6/シ/)・・・P22 銅像を供出したが上半身を誰かが溶かさず取っておいたようで、戦後改めて飾られた。それとは別に、代わりの像もセメントで製作している。
P49 銅像が供出され、再建は平成に入ってから。
P56 昭和3年に建てられた像が、70年経過し劣化が激しいと記述あり。
➡『日本の心は銅像にあった』(281.0/マル/)・・・記述なし
- 事前調査事項
- NDC
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- 金属彫刻.鋳造 (715 9版)
- 日記.書簡.紀行 (915 9版)
- 参考資料
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余目町 編纂. 余目町史 下巻. 余目町, 1990.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002280148 -
木下直之 著. 銅像時代 : もうひとつの日本彫刻史. 岩波書店, 2014.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I025337021 , ISBN 978-4-00-025962-0 -
清水義範 著. 銅像めぐり旅 : 蘊蓄紀行. 祥伝社, 2002.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003632228 , ISBN 4-396-63203-7
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余目町 編纂. 余目町史 下巻. 余目町, 1990.
- キーワード
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- 軍人像(グンジンゾウ)
- 軍神(グンシン)
- 戦没者(センボツシャ)
- 銅像(ドウゾウ)
- 石像(セキゾウ)
- 一般書
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346458