1.上杉謙信
当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(4)に上杉謙信が関東に出兵した際に攻撃した埼玉県内の城と拠点とした埼玉県内の城に関する記述が見つかりました。本庄城、忍城、鉢形城、松山城、河越城等が挙げられています。
(1)『新潟県史』通史編2 中世(新潟県/編 新潟県 1987)
「第4章 第1節 上杉謙信」内p591~621「3 合戦と国分け」に、上杉謙信の越後国外への出兵に関する記述があります。
p599~602「関東管領への道」内p600「図142 「関東幕注文にみえる衆と武将」に、永禄3年の最初の関東出兵時における北条方の城が記載されています。
またp602~606「連年の越山」内p605「図143 上杉謙信が攻撃した城と年月」に、主に永禄年間に謙信が攻撃した関東地方の城とその年月が記載されています。
(2)『上杉謙信』(学研 2008)
p76「関東諸将の分布(永禄~天正初期)」に、永禄3年小田原包囲戦における、各国の城と上杉軍に参陣した武将が記載されています。
またp101「謙信進行路」に、上杉軍の進行路が各国の城とともに記載されています。
(3)『上杉氏年表』増補改訂版(池享/編 矢田俊文/編 高志書院 2007)
永正3年から元和9年にかけて、謙信及び景勝の事績を中心とする歴史的事項を編年体で記述しています。関東出兵に際し、埼玉県内の城を巡る攻防に関する記述も散見されます。
(4)『上杉謙信と春日山城』(花ヶ前盛明/著 新人物往来社 1984)
「5 上杉謙信の攻略した城」内p82~83「松山城」に、謙信の松山城攻略に関する記述があります。
2.上杉景勝
当館所蔵資料を調査したところ、(5)(6)に上杉景勝が天正18年秀吉の小田原征伐の際に攻撃した埼玉県内の城に関する記述が見つかりました。同年6月14日に鉢形城を攻略し、7月6日に秀吉に忍城の堤防建築を命じられた旨の記述があります。ただし、拠点とした旨の記述は見つかりませんでした。
(5)『上杉景勝のすべて』新装版(花ヶ前盛明/編 新人物往来社 2008)
「上杉景勝の出自と越後時代」内p33~38「会津移封」及び巻末「上杉景勝関係年譜」
(6)『上杉景勝』復刻版(児玉彰三郎/著 児玉彰三郎氏遺著刊行会/編 ブレインキャスト 2010)
p107~117「18 小田原参戦」