レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月9日
- 登録日時
- 2022/10/04 11:42
- 更新日時
- 2023/01/31 10:06
- 管理番号
- 奈県図情22-1001
- 質問
-
未解決
1)東大寺知足院には、国の重要文化財である厨子入りの地蔵菩薩立像の他に、お前立ちさんと呼ばれる地蔵菩薩立像があるが、このお前立ち地蔵菩薩立像について調べた資料はないか。写真、サイズ、制作時期、その他について先行研究があれば見たい。
2)このお前立さんが、幕末以前に知足院に存在したか、言及している資料はないか。
3)惣持院と呼ばれる、幕末まで鼓坂小学校付近にあった東大寺塔頭があるが、そちらにあった文使地蔵と呼ばれる地蔵が、明治元年に知足院に移ったという記録がある。雑誌日本美術工芸の1996年11月号以外にこの移動が記されている記録はあるか。たとえば、明治初期の寺院明細帳などで、寺宝などの欄に、惣持院から預かった地蔵、などとして記録されていないか。
- 回答
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1)につきまして
『日本国語大辞典』(小学館)の「御前立」(おまえだち)の項目には、「仏堂で、本尊の前に別に安置して、諸人に礼拝させる仏像。」と記載しています。
当館所蔵の知足院や東大寺関係の資料の中に、お前立ちさんと呼ばれる御前立について探索しましたが、記述は確認できませんでした。ただ、ウェブ上の個人のサイトでは、地蔵会において、重要文化財の地蔵菩薩立像を東大寺ミュージアムに安置しているため、御前立を本尊として開催するような記述は散見されました。例えば、以下のURLのウェブページがその例です。
https://naraclubpart3.blogspot.com/2020/07/blog-post_22.html(2022年10月5日確認)
2)につきまして
1)の回答のとおり、当館所蔵の知足院や東大寺関係の資料の中に、知足院の重要文化財の地蔵菩薩立像ではなく、御前立に関する記述を確認できないため、江戸時代の間にはお前立さんは存在したか、していないか確定できる記録につきましても、確認できませんでした。
3)につきまして
雑誌『日本美術工芸』の1996年11月号は、当館所蔵資料でしたので確認し、そのうえで、当館所蔵の東大寺が掲載されている公文書(寺院明細帳など)を探索しましたが、知足院の項目や本尊の記載は確認できましたところ、知足院へ移動した記載は確認できませんでした。
ただ、当館所蔵の奈良史料叢書三『庁中漫録 七~九』の11頁には知足院の「地蔵菩薩」が、52頁には惣持院の「地蔵菩薩」が記述として確認できました。後者の「地蔵菩薩」が『日本美術工芸』の同号に記載のとおり、惣持院から知足院に移動したと考えられます。
- 回答プロセス
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1)
東大寺関係の当館所蔵資料を探索したが、確認できず。ウェブ上で東大寺知足院の地蔵会について探索。
2)
1)のとおり、記述が確認できない。
3)
当館所蔵『日本美術工芸』1996年11月号を確認。
当館所蔵の『寺院明細帳』など、公文書を確認。
当館所蔵『庁中漫録』を確認。
- 事前調査事項
-
なし
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『奈良市寺院明細帳』(請求記号「:1-M24-105d、資料ID:556000974)568コマ目
『庁中漫録 七~九』(請求記号: 216.5-チヨウ-2018、資料ID:111320235)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000322232