レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/05/02
- 登録日時
- 2009/09/09 02:11
- 更新日時
- 2009/09/17 09:11
- 管理番号
- 埼熊-2009-017
- 質問
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未解決
狛犬が神社の鳥居の内側か外側かに意味があるのかを知りたい。
- 回答
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狛犬は元々本殿や拝殿の中に置かれていたが、江戸時代以降に参道に置かれるようになったようである。明確にその意味が書かれている資料は見つからなかった。回答プロセスを参照のこと。
- 回答プロセス
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『国史大辞典 6 こま-しと』(吉川弘文館 1985)
p3〈狛犬〉の項に、「通常は、神殿の縁側または社寺の前庭に置かれる。(略)昔は宮中で几帳の裾の鎮子(ちんし)として小型の木像狛犬が用いられたこともある。要するに狛犬の性格は守護神である。」とあり。
『狛犬事典』(上杉千郷 戎光祥出版 2001)
p13-〈神像の前に置かれた狛犬〉の項に、「当初、狛犬は本殿内の神像の前に置かれ、それがしだいに階上椽の軒下へ移り、形もそれにしたがって大きくなった。境内に狛犬を置くようになったのは、中国の宮殿・陵墓の参道に石像獅子を置く風習が影響したと思われる」とあり。
『狛犬学事始』(ねずてつや ナカニシヤ出版 1994)
p29「江戸時代には(木製の狛犬を)「拝殿の縁に置く」(当然鳥居の内側)のが当たり前だった、「それがいつごろから、何のために石の姿で参道へ出るようになったのか」疑問をはさむ記述あり。
p36 北野天満宮の配置図あり(22対)
p172-177「狛犬が参道に出たのはいつか」の章に、「寛永一三年(一六三六年)、日光東照宮の家康の墓の前に置かれた一対の狛犬が、関東から以西の太平洋側で一番古い石造狛犬で(略)日光廟の増築の監督をした二人の大名が、その功績等で特に許され、神君の墓を守るために設置した(略)それを知った江戸の人達が、自分たちの町の神社にも狛犬を奉納するようになった」という、橋本万平氏の「日光東照宮説」の紹介あり。
『周防狛犬ウォッチング』(松村巧 1993)
p1「狛犬の歴史」に、「伝来した当初は門扉、どん帳などの鎮子を兼ねて魔除として用いられたが、その後、社殿の内外に置かれ、神宝の1つとされるようになった。」とあり。
p2「狛犬も江戸時代前期頃までは木製のものが多く、社殿神域に設置されていたが、この頃から神社の屋外に設置することが一般にも普及、石製のものが多くなり」とあり。
p3「狛犬の設置場所」に、「狛犬の設置場所は神社の参道入り口、参道中央、拝殿前が多く、この他まれに拝殿横、拝殿裏に設置されることがある。したがって狛犬が拝殿横、拝殿裏にあるものは珍しい設置場所といえる。」とあり。
『大阪(なにわ)狛犬の謎』(小寺慶昭 ナカニシヤ出版 2003) *小寺慶昭はねずてつやの本名
p10-「参道へでた狛犬」に、平安時代には青銅製・木製の狛犬などが建物の中に据えられていたこと、参道に出る狛犬が一般化するのは江戸時代、日光東照宮の徳川家康の墓前に一対の狛犬が置かれたことを知った江戸の豪商が、寛永一三年(一六三六年)に目黒不動尊に狛犬を寄進した以後、各神社へ狛犬奉納が続くことになるとの記述あり。
p39「摂津名所図会」に描かれた狛犬について、「設置されている場所としては「拝殿前」とは必ずしも一致しない。この絵の拝殿のすぐ前には狛犬が描かれていないからだ。ただ、鳥居前も拝殿前の一部と言えなくもないし、また神社では狛犬の設置場所を境内のあちこちに動かせることも多いので、寛政年間に二の鳥居前に来ていても特に問題はない。」とあり。
『The狛犬!コレクション 参道狛犬大図鑑』(三遊亭円丈 立風書房 1995)
p222東照宮の狛犬紹介で「東照宮本宮の工事をした二人の大名が狛犬奉納を願い出た。それから参道に狛犬を奉納する風習ができたと言う説があるぐらい歴史的な狛犬だ。」とあり。
『東京の狛犬』(鈴木俊雄 1991)
p4「平安時代に先ず宮廷風俗としてとりいれられ、清涼殿などに据えたようです。各地の神社がこれに倣い、初めは本殿内に置いたようですが、やがて神域全体を護る唐獅子、狛犬として広まり、定着したようです。」とあり。
『狛犬の歴史』(藤倉郁子 岩波出版サービスセンター(製作) 2002)
p60-61、p95の挿絵を見ると、もともとは社の内にあった。
『鳥居』(稲田智宏 光文社 2002)
p10 一般的な例として鳥居をくぐった先に狛犬があり、狛犬は境内への邪悪なものの侵入を防ぐ霊獣とある。
以下の資料は、狛犬の位置について記述あり。
『狛犬探訪 埼玉の阿・吽たち』(久保田和幸 2003)
p10-11「狛犬が社殿の外(社頭や拝殿の前)に出てきたのは江戸期の中頃になってからである。それ以前は社殿の中にいたもので、(略)これを社殿狛犬と呼んで、(略)参道狛犬とは区別されている」とある。
p130-「埼玉県狛犬完全データ」に設置場所の一覧あり。
『市原の狛犬』(市原市教育委員会 1994)
p11(鎌倉時代後期に和風の狛犬が造立されるようになり)「その後社殿建築が盛んになるとともに、神社の内陣、外陣、門前、鳥居付近に供えられたが、社殿の外ではなく内部の左右に配された比較的小型のものが古式であると言う考え方もある」とあり。
それぞれの神社の狛犬設置位置があり。「拝殿前」「神殿前」などが多いが、
p83「稲荷神社(Ⅰ)」、p187「鶴舞神社(Ⅰ)」、p190「熊野神社」は「鳥居前」。
p124「畑木神社(Ⅰ)」は、「石段下」「鳥居の外側で、神社の入口正面に置かれている」。
p134「熊野神社」は、「鳥居の前」。
p158「玉前神社」は、「鳥居の前(石段下)」「この狛犬は石段の下、鳥居の外側にあり、神社の一番外側で護っている」。など、鳥居外側に設置されているものもある。その意味についての記述はなし。
その他の調査資料は以下のとおり。
雑誌『文藝春秋 昭和52(1977)年11月号』
グラビアページ「忘れられた石像 江戸の狛犬」に狛犬の写真が数点掲載されているが狛犬のみの写真で鳥居との位置関係がわかるものはなし。
『故実叢書 25 鳳闕見聞図説(ホウケツケンモンズセツ)』(故実叢書編集部 明治図書出版 1951)
p14「紫宸殿」内〈中央門戸〉の項に「狛犬を圖(図)せり。門戸の上に文負亀の心を書す。其前に御帳臺あり。」とあり。「図せり」とあるので、実際に狛犬の像があったのではなく、狛犬の絵が描かれていたのではないか。
p19「紫宸殿内御帳臺之図」とp30「中央狗犬(クケン)負文亀之図」に狛犬と思われる図有り。
p20「紫宸殿内之圖」に「獅子狗犬」とあり。
p50「清涼殿」の項に「御帳のまえのしもに左右に獅子狗犬あり」とあり。
p48に「清涼殿内之圖」に獅子狗犬の場所は確認できず。
ちなみに「鳳闕」とは皇居、皇居の門のこと(『日本国語大辞典』 小学館より)。「狗犬」(クケン)とは犬のこと(『大漢和辞典 7』 大修館書店より)。
『鳳闕見聞図説』の成立年代については、《NDL-OPAC》、『国書総目録』(岩波書店)『国書解題 下』(日本図書センター)でも該当する情報を確認できず。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 狛犬
- 神社建築
- 神社
- 鳥居
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000057739