レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年07月21日
- 登録日時
- 2022/09/08 14:52
- 更新日時
- 2023/05/04 10:43
- 管理番号
- 相橋-R4-20
- 質問
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解決
神奈川県相模原市から海老名市にかけて流れる相模川水系の河川・鳩川(はとがわ)沿いの竹やぶの竹を、江戸時代に江戸城のすす払いに使っていたと聞いた。そのことがわかる資料が見たい。
- 回答
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「(高座郡)下九沢村 元禄一一年(一六九八)分郷となり、佐野信濃守勝由と加藤三左衛門明教両知行所の二給となって、幕末にいたっている。この村の鳩川谷の竹は有名で、毎年営中の歳暮の煤掃いの際に使用する煤竹は、ここの地頭加藤から献上するのが例となり、そのため[藪加藤]と呼ばれたと伝えられる。」と、⑥に記載あり。
④⑤にも同様の記載があった。
- 回答プロセス
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検索エンジンGoogle(http://www.google.co.jp/ 2022/07/21/ 最終確認)にて、キーワード“江戸時代 上溝歴史 献上”にて検索したところ、以下のWEBサイトが見つかった。
「相模原情報発信基地 相模原の江戸時代(3) 下九沢・上九沢」(https://sagami.in/reki/edo3 2022/07/21/ 最終確認)の項に、「下九沢 1698年からは、佐野勝由(佐野信濃守勝由)と、加藤明教(加藤三左衛門明教)の2人が下九沢を分割知行して幕末に至った。加藤氏は、書院番を勤め、所領は下野国都賀郡内の6村が中心で、相模国では4村のうち、1つがこの下九沢52石であった。加藤氏が知行したと考えられる鳩川沿いは竹薮があり、毎年江戸城内の暮れの掃除道具「竹箒(たけぼうき)」にと、下九沢の竹を献上した為[やぶ加藤]と呼ばれていたようだ。」との記載あり。
①『角川日本姓氏歴史人物大辞典 14』 神奈川県姓氏家系大辞典編纂委員会/編著 角川書店 199303 (自館請求記号:R288)
加藤明教(加藤三左衛門明教)の記載なし。
市内OPACにてキーワード“加藤明教”で検索したところ、以下の資料が見つかった。
②『アゴラ 第29号 2004 新緑号』 さがみはら編集委員会/編 佐野誠吉/(他)著 さがみはら 200405 (自館請求記号:K1-30)
p90「相模原事典 加藤明教(かとう あきたか)」の項に、「寛文一〇~享保一六(一六七一~一七三一)徳川の旗本で駿河守。元禄一〇年から下九沢の領主となり、幕末まで一族で継承。下九沢名産の竹を幕府の煤竹として献上したので藪加藤といわれたエピソードがある。略系図次の通り。 明教-明義-明張(はる)-右近」」と、該当の記載あり。
②を参照して以下の資料を確認した。
③『相模原事典 改訂版』 涌田佑/著 涌田久子/著 日相出版 202011 (自館請求記号:K1-21)
p67「加藤明教(かとう あきたか)」の項に、「寛文一〇~享保一六(一六七一~一七三一)徳川の旗本で駿河守。元禄一〇年から下九沢の領主となり、幕末まで一族で継承。下九沢名産の竹を幕府の煤竹として献上したので藪加藤といわれたエピソードがある。略系次の通り。 明教-明義-明張(はる)-右近」と、該当の記載あり。
GoogleBooks(http://books.google.co.jp/books?hl=ja 2022/07/21/ 最終確認)にてキーワード“下九沢 献上”で検索したところ、以下の資料が見つかった。
④『日本歴史地名大系 14 神奈川県の地名』 平凡社 1984 (自館請求記号:R291)
p485「しもくざわむら 下九沢村 現相模原市下九沢・上溝一丁目・横山台一-二丁目・小町通一-二丁目・清新八丁目・南橋本三-四丁目」の項に、「-前略- 元禄一一年(一六九八)旗本佐野・加藤領。鳩川谷に群生する竹は毎年営中の歳暮の煤掃いの煤竹に使用され、領主加藤氏から献上するのが例となり[藪加藤]と呼ばれたと伝えられる。 -後略- 」と、該当の記載あり。
GoogleBooks(http://books.google.co.jp/books?hl=ja 2022/07/21/ 最終確認)にてキーワード“下九沢 竹 江戸城”で検索したところ、以下の資料が見つかった。
⑤『角川日本地名大辞典14 神奈川県』 角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川書店 1984 (自館請求記号:R291)
p459「しもくざわ 下九沢<相模原市> 相模野台地北部に位置する [近世]下九沢村」の項に、「-前略- 元禄10年は幕府領、幕末は旗本佐野氏・加藤氏の相給。-中略- 地内にかかる鳩川谷は竹の産地として知られ、毎年歳暮に江戸城で使用する煤竹は当村から献上した。(相模原市史5) -後略-」と、該当の記載あり。
⑤を参照して以下の資料を確認した。
⑥『相模原市史 第5巻 再版 中世・近世資料編』 相模原市/編 相模原市 1977 (自館請求記号:K1-21)
p324-325「第二編 近世資料編(下九沢村) 一一下九沢村」の項に、「-前略- 元禄一一年(一六九八)分郷となり、佐野信濃守勝由と加藤三左衛門明教両知行所の二給となって、幕末にいたっている。この村の鳩川谷の竹は有名で、毎年営中の歳暮の煤掃いの際に使用する煤竹は、ここの地頭加藤から献上するのが例となり、そのため[藪加藤]と呼ばれたと伝えられる。」と、該当の記載あり。
③~⑥、事前調査事項の資料⑨を提供した。
- 事前調査事項
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質問者より、「『おおさわ風土記』の著者、笹野邦一が言っていると聞いた。」との情報を得たので、以下の資料を確認した。
⑦『おおさわ風土記』 笹野邦一/編 風土記協力会 1976 (自館請求記号:K1-29)
該当の記載なし。
⑧『おおさわ風土記 第2集 第1集併載』 笹野邦一/著 おおさわ風土記協力会 1982 (自館請求記号:K1-29)
該当の記載なし。
⑨『おおさわ風土記』 笹野邦一/著 おおさわ風土記刊行委員会 200003 (自館請求記号:K1-29)
p144「八 地域・地名編 鳩川の源流を尋ねて ('93) ○鳩川にまつわる話」の項に、「母なる川鳩川には、多くの伝説や民話が残されている。特に鳩川谷の流域は開発されず、今は見ることができないが実に見事な竹林で、うっそうと繁り、史実によれば昔、領主加藤氏より江戸城中煤払いの竹はここから献上されたという。-後略- 」と、該当の記載あり。
- NDC
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- 日本史 (210)
- 日本 (291)
- 参考資料
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- 『相模原市史 第5巻 再版 中世・近世資料編』 相模原市/編 相模原市 1977
- 『角川日本地名大辞典14 神奈川県』 角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川書店 1984
- 『日本歴史地名大系 14 神奈川県の地名』 平凡社 1984
- 『おおさわ風土記』 笹野邦一/著 おおさわ風土記刊行委員会 2000
- 『相模原事典 改訂版』 涌田佑/著 涌田久子/著 日相出版 2020
- 『アゴラ 第29号 2004 新緑号』 さがみはら編集委員会/編 佐野誠吉/(他)著 さがみはら 2004
- キーワード
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- 下九沢
- 竹
- 江戸城
- 相模原
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000320988