レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年01月14日
- 登録日時
- 2016/03/03 10:11
- 更新日時
- 2016/03/04 12:45
- 管理番号
- 静岡郷土-15
- 質問
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解決
長尾峠にある石榑千亦の歌碑の歌「萬のものみなひそまりて天地は一つの不二となりにけるかも」(『富士山百人一首』39番)の出典を知りたい。
- 回答
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当館蔵書検索システム全項目「石榑千亦」で検索すると、
『現代短歌全集 第3巻』(筑摩書房 1981年 当館請求記号:911.167/121)
『編年体大正文学全集 第1、3、9、12巻』(ゆまに書房 2000~2002年 918.6/ヘン)
などが該当する。
『現代短歌全集 第3巻』には「潮鳴」(第一歌集とのこと)が収められているが、同歌はない。また、『編年体大正文学全集 第1、3、9、12巻』でも質問の短歌が見当たりそうもないため、さらにNDLサーチで「石榑千亦」を検索すると、該当資料のうち、当館所蔵資料である
『現代日本文学全集 90 現代短歌集』(筑摩書房 1957年 918.6/102)
『現代短歌全集 14 石榑千亦集 木下利玄集 川田順集』(改造社 1930年 911.16/227)
の2冊にも含まれていることが分かったので、内容を確認する。
『現代日本文学全集 90 現代短歌集』のうち、
pp.134~138「石榑千亦集」は
・「潮鳴」(大正四年二月刊)
・「鷗」(大正十年四月刊)
・「海」(昭和九年六月刊)
・未刊歌集より
・肖像と略歴
という構成であるが、同歌は「未刊歌集より」に収められている。
巻末の編集部注に「歌はすべて題記歌集よりの抄録である。」とある。
『現代短歌全集 14 石榑千亦集 木下利玄集 川田順集』は、
・肖像
・筆蹟
・潮鳴
・鷗
・羇旅
という構成であるが、同歌は「羇旅」に収められている。
「石榑千亦集」の後に、石榑千亦による文章が掲載され、その中に「この集に編した歌は、全部大正以後のもので、大體に類別し、地方別にし、作の年代には據らない事にした。」という文章がある。
さらに当館蔵書検索システムで該当した
『近代文学研究叢書 49』(昭和女子大学近代文学研究室/著 昭和女子大学近代文化研究所 1979年 910.26/197)は研究書であるが、
p.15に「歌集には『潮鳴』(大4・2)、『鷗』(大10・4)、『海』(昭9・6)がある。」との記載、また、
pp.364~394に「著作年表」があり、項目は
「書(題)名」「誌(紙)名」「筆名」「年月日」であるが、その中に
「羇旅雑詠(二六首)」「心の花」「石榑千亦」「大731」とある。
「心の花」は石榑が主幹として編輯兼発行人をした短歌雑誌のことであるが、(「大731」とあるのは大正7年3月1日のことか。)雑誌『心の花』は当館、県内とも未所蔵であり、ここに同歌が載っているかは未確認。
当館蔵書検索システム書名「心の花」で検索したところ、
『心の花 700号』(竹柏会/編 竹柏会心の花出版部 1957年 911.16/64/)
が該当したので、内容を確認する。
pp.35~37「海の歌人石榑千亦 前川佐美雄」に「それにもかかはらず石榑千亦の歌集は単獨のものとしては『潮鳴』と『鷗』の二冊よりない。」「それ以外では改造社の現代短歌全集第十四巻中の『石榑千亦集』があるが、これは昭和五年十二月の發行であって、『潮鳴』『鷗』の作の一部と、新しく『羇旅』の篇を加へて、しかもなほ六百首には至らないのである。したがつて、石倉千亦の歌はこの三歌集によつて見る他はなく、そのおびただしい作品は『心の花』をしらべる以外に手がないといふことになる。」とある。
よって、出典と言えるのは、未確認ではあるが、大正7年の雑誌『心の花』か、『現代短歌全集 14 石榑千亦集 木下利玄集 川田順集』ではないか。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 詩歌 (911)
- 参考資料
- キーワード
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- 石榑千亦(イシクレ チマタ)
- 歌碑
- 富士山百人一首
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000188797