レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年07月23日
- 登録日時
- 2013/07/23 23:06
- 更新日時
- 2013/07/24 16:53
- 管理番号
- 20130723-10
- 質問
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解決
孟子について知りたい。
- 回答
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孟子(もうし) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%AD%9F%E5%AD%90/ (2013/07/23確認)
生没年未詳。中国、戦国時代の儒者である孟軻(もうか)。あるいは彼の思想を伝える書物の名。孟軻の軻は名。字(あざな)は子輿(しよ)または子車といわれるが、根拠は薄い。孔子(こうし)没後100年ほどたった紀元前4世紀前半ごろに生まれる。幼時の話に孟母三遷(もうぼさんせん)や断機(だんき)の教えがあるが、史実かどうか疑わしい。生地は鄒(すう)の国で、現在の山東省に属する。若いころに孔子の生国である魯(ろ)に遊学し、そこで孔子の孫の子思(しし)(孔伋(こうきゆう))の門人に学んだ。のち、弟子たちを引き連れ、「後車数十乗(台)、従者数百人」という大部隊で、梁(りよう)(魏(ぎ))の恵(けい)王、斉(せい)の宣(せん)王、鄒の穆(ぼく)公、滕(とう)の文(ぶん)公などに遊説(ゆうぜい)して回ったが、いずれも不首尾で、晩年は郷里で後進の指導にあたった。・・・
参考文献宇野精一訳注『全釈漢文大系2 孟子』(1973・集英社)金谷治訳注『中国古典選5 孟子』(1966・朝日新聞社)小林勝人訳注『孟子』上下(岩波文庫)金谷治著『孟子』(岩波新書)
孟子 【モウシ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%AD%9F%E5%AD%90 (2013/07/23確認)
もうし【孟子】 国史大辞典生没年不詳中国戦国時代中期末の儒家。孔子の思想を受けてその倫理説・政治説を固め、伝統的儒教の中核を作りあげた。前三七二年ごろ生まれ、前二八九年ごろ没したかとされる。名は軻(か)、字は子輿(しよ)。鄒(すう、山東省鄒県)の人。幼年、賢母の訓育をうけ、孟母三遷(悪い環境に染まるのを恐れ三度家移りをした)とか孟母断機(学業の中絶を戒め織機の糸を切った)とかいう話は有名である。孔子の孫の子思の門人に学び、儒教衰微の中で孔子を継ぐ気概で門人を率い、得意の弁舌で諸国を遊説した。前三二〇年から十数年、梁(りょう)・斉・宋・滕(とう)などをめぐって、仁義の徳とそれにもとづく王道政治とを説いたが、時勢にうとい理想主義として用いられず、郷里に帰って門人教育に専念して生涯を終えた。・・・[参考文献]金谷治『孟子』(『岩波新書』青五九八)、加賀栄治『孟子』(『人と思想シリーズ』三七)
もう‐し[マウ:]【孟子】 日本国語大辞典(古くは「もうじ」とも)〔一〕中国戦国時代の儒家。魯(山東省)の鄒(すう)の人。名は軻(か)。前四世紀後半に活躍した。性善説に立ち、人は修養によって仁義礼智の四徳を成就する可能性をもつことを主張。また、富国強兵を覇道としてしりぞけ、仁政徳治による王道政治を提唱。後世、孔子と並んで孔孟と称され、亜聖の名がある。孟母三遷、孟母断機の物語は後世の伝説。生没年未詳。〔二〕中国、儒教の経典。四書の一つ。七編。〔一〕の言行をその弟子が編纂したもの。性善説を中心に仁義礼智を説き、王道政治を提唱している。宋代の朱子によって四書に列せられてから特に盛行。わが国では、易姓革命の主張とわが国体とが相容れないとして忌避傾向もあったが、江戸時代にはいって朱子学の流行とともに必読の書となった。
中国文化史大事典 / 尾崎雄二郎, 竺沙雅章, 戸川芳郎編集代表 東京 : 大修館書店 , 2013 ISBN:97844690128
p.1168
中国学芸大事典 近藤春雄著 大修館書店 1978 ISBN:4469032018
p.754
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 先秦思想.諸子百家 (124 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 孟子 もうし
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000134194