レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年05月10日
- 登録日時
- 2018/05/10 15:32
- 更新日時
- 2019/05/17 14:56
- 管理番号
- 長野市立長野-18-003
- 質問
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解決
北原白秋が作詞した『からたちの花』は、山田耕筰の生い立ちをを参考にして詩作したようだが、それについて山田耕筰が記述したものが見たい。
- 回答
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参考資料①(p37-p38)②(p35)③(p26)で以下の記述が確認できた。
「枳殻の、白い花、青い棘、そしてあのまろい金の実、それは自営館生活における私のノスタルジアだ。そのノスタルジアが白秋によって詩化され、あの歌となったのだ。」
この文が掲載されているページを提示し回答とした。
- 回答プロセス
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当館検索システムのフリーワード「山田耕筰」、「北原白秋 からたちの花」を検索。ヒットした資料を直接あたる。
まず、参考資料⑤で北原白秋作詞の「からたちの花」の内容を確認する。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ。
と、ある。
ヒットした資料には、「白い花青い棘」という項目があり、この項目に記述があるのではと目星をつける。
結果、参考資料に挙げた①②③で、枳殻についての記述を数箇所確認。白秋が詩化したと記述しているのは、回答に挙げた箇所のみだった。
その後の質疑応答のなかで、山田耕筰と枳殻の背景(幼少期)についても簡単に知っておきたいということだったため、補足で見つけた枳殻の記述箇所を伝え、参考資料④も併せて提示し調査終了とした。
- 事前調査事項
- NDC
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- 音楽 (760)
- 音楽史.各国の音楽 (762)
- 参考資料
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- ①『山田耕筰』山田 耕筰/著 日本図書センター 1999.12 <762ヤ> , ISBN 4-8205-5762-9 (『小さな歌の狂人』「耶蘇学校」p28-p29、「白い花青い棘」p35-p38)
- ②『はるかなり青春のしらべ』山田 耕筰/著 かのう書房 1985.04 <762ヤ> (『小さな歌の狂人』「耶蘇学校」p26、「小さな歌の狂人」p32-p35)
- ③『山田耕筰著作全集 3』山田 耕筰/〔著〕 岩波書店 2001.10 <760ヤ> , ISBN 4-00-092433-8 (『若き日の狂詩曲』「小さな歌の狂人」耶蘇学校 p19、小さな歌の狂人p24-p26)
- ④『日本歌曲の父山田耕筰』西条 嫩子/文 音楽之友社 1982.06 <76ヤ> , ISBN 4-276-33018-1 (「おさない日々」p15-p19)
- ⑤『からたちの花がさいたよ』北原 白秋/作 岩波書店 1990.09 <Y911キ> (「からたちの花」p70)
- キーワード
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- 北原白秋
- 山田耕筰
- からたちの花
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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・『山田耕筰著作全集 1』山田 耕筰/〔著〕 岩波書店 2001.04 <760ヤ> (未刊随想Ⅰ 作品解説 p346)
・CD『山田耕筰の遺産 1』山田 耕筰/作曲 日本コロムビア 1996 <760ヤ>(「からたちの花」⑨⑳に収録。付録解説書 p15-16)
これらの資料でも「からたちの花」についての記述は確認できたが、『セノオヤマダ楽譜1035番』(1925.8.18)から引用されたもののようで、ほぼ同じ内容。利用者の求める記述ではなかった。
・『この道』日本楽劇協会/編 恵雅堂出版 1982.04 <762ヤ>(「出生よりドイツ留学まで-田村直臣と自営館」p106-p108)
枳殻についての記述はあるも参考にはならなかった。
・参考資料①の年譜(p306)に大正14(1925)年5月、雑誌『女性』に自営館時代の思い出につながる、『からたちの花』を発表・・・とあったため、国会図書館のデジタル化資料を確認。楽譜と詩のみの掲載で参考にはならなかった。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000235510