レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年03月12日
- 登録日時
- 2022/12/02 21:02
- 更新日時
- 2023/02/27 21:06
- 管理番号
- 県立長野-22-155
- 質問
-
未解決
白華山慈雲寺(長野県下諏訪町)の7世住持であった天桂玄長(てんけい げんちょう)が、岐阜県飛騨地方とかかわりがあったことに関する史料を探している。『諏訪史料叢書』を調べてほしい。
- 回答
-
慈雲寺及び天桂玄長と飛騨の関係がわかる『諏訪史料叢書』中の文書は、確認できなかった。
1 『諏訪史料叢書 巻十六』の慈雲寺関係の文書
・「4.慈雲寺禁制(寫)」NDLデジタルコレクション61-62コマ目
「一九 武田勝頼禁制」[天正5年]
「二〇 北條氏禁制」[天正10年]
「二一 織田信長禁制」[天正10年]
「二二 諏訪頼忠禁制」[天正11年]
※『諏訪史料叢書 復刻 第3巻』諏訪教育会編 中央企画 1983【N241/7a/3】p.389-390
・「7.其の他 五八、武田晴信安堵状」NDLデジタルコレクション69コマ目
署名が「晴信」、宛先が「天桂和尚」となっている。
※『諏訪史料叢書 復刻 第3巻』p.405
これと同じものがインターネットで公開されている長野県立歴史館「信濃史料データベース」にも所収されており、書き下し文も付されている。
『信濃史料』巻十一 天文元年(1532)~ 540 / 672 ページ
「天文二一 武田晴信、諏訪郡慈雲寺住持玄長天桂、ヲシテ、同寺領を安堵セシム、」に続く部分。[最終確認2022.12.4]
2 慈雲寺や天桂玄長と関係があった寺院
・『白華山慈雲禅寺』 慈雲寺寺誌編纂委員会著 白華山慈雲寺 2004【N184/33】
p.50-55に「七世 中興天桂玄長禅師」がある。
また、第6章資料編の「白華山慈雲寺略縁起(原文のまま)」p.205-215中、p.210に5行ほど、天桂
玄長に関して書かれた部分がある。この中で、「(前略)當郡伊那松本木曽東美濃等の諸部へ數十ヶ
寺院分法す、今に天桂門派と稱す(後略)」とあるが、飛騨との関係については記載がない。
・『下諏訪町誌 中巻』下諏訪町誌増補版編纂審議会編 甲陽書房 1989【N241/36a/2】「白華山慈雲寺」p.611-621
p.612-613に第7世中興開山天桂玄長大禅師の項目があり、「(前略)伊那・松本・木曽・中津川な
どに数十ヵ寺を分法し、門末が大いに栄えたと伝える(後略)」とある。
また、p.617-619では上述の天文21年の武田晴信の禁制や天正10年の織田信長による禁制、天正
11年の諏訪忠頼による禁制などが紹介されている。
・『諏訪の名刹3 臨済宗妙心寺派』 南信日日新聞社 1981【N184/16/3】
「白華山慈雲寺」p.45-70「歴代の住職」のp.65「⑦天桂玄長」に、
(-前略-)乾徳寺、普済寺、保福寺、金龍寺など伊那、木曽、松本、中津川方面も含め数十ヵ
寺を分法、俗に天桂門流と呼ばれ、門末ともども大いに栄えたと伝えられる。(-後略-)
とあった。
『全国寺院大鑑 別巻索引』を参照し、これらの寺院名を冠する寺で臨済宗妙心寺派としている「普済寺」(上伊那郡箕輪町)、「保福寺」(松本市)、「金龍寺」(安曇野市)について調査資料に挙げた郡誌や市町村誌を確認したところ、以下の資料があった。
・『南安曇郡誌 第2巻(上)』南安曇郡誌改訂編纂会編・刊 1968【N232/6/2-1】
p.684-685掲載の「金桑山真珠院」の項目名の下部に小文字で「諏訪慈雲寺末、真々部村在」と
あり、本文中に「(前略)慈雲寺の記録によれば、開山は妙心寺派天桂和尚(永禄一一・五・二三示
寂)とされている。(後略)」とあり、また、この中で寺名がかつて「金龍寺」であったことや明治
5年に一度廃寺となり、明治11年に再興したことが書かれてる。
このほかの寺院については、慈雲寺との関係を示す記述を見つけることはできなかった。
なお、同寺名を冠している寺院は伊那、木曽、松本、岐阜県まで含めて複数あるものもあり、かつ、寺院大鑑を出版した当時の時点ですでに廃寺となっていた寺院である可能性もある。
3 天桂に関する資料
・『下諏訪町誌 上巻』下諏訪町誌増補版編纂審議会編 甲陽書房 1985【N241/36a/1】p.837-843
慈雲寺のうち、p.838-839に天桂の俗縁に関することなどが記されているが、分法を行ったことについては触れられていない。
・『信濃名僧略伝集』阿部芳春著 梓川書房 1976【N180/70】
p.143「天桂玄長」があった。慈雲寺略縁起からの抄訳が掲載されており、「東筑摩郡中山村拜原
保福寺ヲ中興シ師ヲ請ズ」とある。また、「保福ニ資料無シ。慈雲ニモ是レ以上無シ。」と注記がある。
・『中世信濃の名僧』飯田市美術博物館編・刊 2005【N184/35】(博物館図録)
p.118「関連法系略図3(妙心寺派)」に天桂玄長があり、天桂の下に以下の三人の記載がある。
「周峯中昭(しゅうほうちゅうしょう) 慈雲寺住」
「一機想宋最(いっきそうさい) 木曽長福寺住」
「東巖玄聦(とうがんげんそう) 木曽興禅寺、松本龍伝寺住」
・『岐阜県史 史料編 古代・中世 2』岐阜県編・刊 1972【215.3/ギフ/2-1-2】
ここに所収されている「明叔慶浚等諸僧法語雑録」p.316-397のp.379に天桂に関する記述があり、
「(前略)彼天桂[わ※]木曽之龍源寺、信州府中慈雲ノ寺、甲州恵林寺、此三ヶ寺之住持也(中
略)」
とあるが、分法を行った寺などについては記載がない。
※パソコンに入力不能な文字
4 慈雲寺の門派
・『全国寺院大鑑 上巻』全国寺院大鑑編纂委員会編 法蔵館 1991【185.03/ゼン/1】
長野県の諏訪郡の部分を参照したが、慈雲寺については「臨済宗妙心寺派」とあった。「白華山慈雲寺略縁起(原文のまま)」に記述のある伊那や木曽などを参照したが、臨済宗の寺で「天桂派」としている寺院は確認できなかった。
・岩永紘和著「戦国期東海・甲信地方における臨済宗妙心寺派の地方展開」
『信濃[第3次]』第72巻8号 p.51-73
P.60では、天桂は独秀門派の中に位置づけられており、論文末尾に付けられている地域ごとの分布寺
院一覧では、「東海門派(独秀系)」と記されている。また、同表の「開山」の項目に天桂の名前が確認
できる寺は、慈雲寺及び龍源寺(木曽)のみ。
・『信州の仏教寺院 第3巻』[郷土出版社編集部編] 郷土出版社 1986【N180/49/3】
p.266-290「信州の全禅宗寺院名簿」に以下の記述があった。
地域:南安曇郡 寺名:金竜寺 本寺末寺:滋雲寺末派 創建期:不明 開山:天桂
地域:岡谷市 寺名:常福寺 本寺末寺:慈雲寺末派 創建期:天和元年 開山:慎獨
- 回答プロセス
-
1 下諏訪町の白華山慈雲寺について概要を確認する。当館の蔵書を「慈雲寺」で検索すると『白華山慈雲禅寺』がヒット。天桂玄長についてもおおよその概略がわかる。文中には『諏訪史料叢書』からの引用も見られた。飛騨地方とのかかわりについては、p.51に「天桂の出自は審らかではないが、寺伝にも南信及び東美濃に分法したとあるから、あるいはその本貫は美濃であったかも知れない。」という記述はあるが、執筆者の推測の域を出ないと思われる。
2 依頼のあった『諏訪史料叢書』を調べる。『諏訪史料叢書 復刻』の目次を見て、個々の寺院に関係しそうな「諏訪古文書集」を見ていく。復刻版の第3巻(和装本巻16)に、『白華山慈雲禅寺』が引用している部分、その他の文書を確認する。しかし、美濃との関係に触れている部分はない。
3 天桂について、NDC分類188(仏教の各宗派)の書棚で僧侶に関する事典類を知らべる。
4 天桂は門派の寺院を増やしていたことから、『全国寺院大鑑 上巻』全国寺院大鑑編纂委員会編 法蔵館 1991【185.03/ゼン/1】で、諏訪郡の部分を参照したが、慈雲寺については「臨済宗妙心寺派」とあった。南信地域や美濃と接する木曽なども参照したが、臨済宗の寺で「天桂派」としている寺院は確認できなかった。「臨済宗妙心寺派」は、「普済寺」(上伊那郡箕輪町)、「保福寺」(松本市)、「金龍寺」(安曇野市)だった。
5 郷土分類N180(長野県の仏教、寺院)の書棚で、慈雲寺や天桂に関する資料を調べる。
6 慈雲寺は下諏訪町にあることから、諏訪地域の誌史類を調べる。
7 「臨済宗妙心寺派」の寺院が所在する上伊那郡箕輪町、松本市、安曇野市を含む誌史類を調べた。
8 当館の郷土史にかかわる雑誌の記事検索をする。「慈雲寺」「天桂」「臨済宗妙心寺派」をキーワードにした。ヒットした郷土資料を確認する。
9 白華山慈雲禅寺に照会する。天桂玄長が分法を行った寺院については事務の方では把握していないとのこと。
<調査資料>
・『長野県史 通史編 3 中世2』長野県編 長野県史刊行会 1987【N209/11-4/3】
p.527-530「信濃武士の臨済宗寺院の造立と保護」、p.530-531「叢林の衰頽と妙心寺派の進出」に
は天桂に関する記述はない。
・『長野県史 通史編 別巻 年表・索引/索引』長野県編 長野県史刊行会 1992【N209/11/4/別2】
「天桂」「玄長」「妙心寺派」「慈雲寺」で『長野県史』の中世編をあたったが、天桂に関わる記述は
確認できなかった。
・『禅学大辞典 上巻』 駒沢大学内禅学大辞典編纂所編 大修館書店 1978【188.8/コマ/1】
・『禅学大辞典 下巻』 駒沢大学内禅学大辞典編纂所編 大修館書店 1978【188.8/コマ/2】
・『禅学大辞典 別巻』 駒沢大学内禅学大辞典編纂所編 大修館書店 1978【188.8/コマ/ベツ】
・『日本仏教人名辞典』日本仏教人名辞典編纂委員会編 法蔵館 1992【180.33/ニホ】
・『探訪・信州の古寺 第3巻』郷土出版社 1996 【N180/72/3】p.220-221
・『箕輪町誌 歴史編』箕輪町誌編纂刊行委員会編・刊 1986【N242/67/2】
p.1235-1240の寺院一覧に「臨済宗 法華山普済寺」とあるが、慈雲寺及び天桂とのつながりについて
は言及されていない。
・『長野県上伊那誌 2』上伊那誌編纂会編 上伊那誌刊行会 1965【N242/32/2】
臨済宗の寺院については、p.1301に「禅宗とその寺院 臨済宗二十三ヶ寺中、妙心寺を本山としている
のが七ヶ寺、その七ヶ寺を本寺としているのが十六ヶ寺であるから、本郡の臨済宗は全部妙心寺派という
ことになる」との記述のみで、各寺院については確認できなかった。
・『岡谷市史 上巻』岡谷市編・刊 1973【N241/60】
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 10版)
- 参考資料
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諏訪教育会/編 , 諏訪教育会 , 諏訪教育会. 諏訪史料叢書 復刻 第3巻. 中央企画, 1983-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059270438-00 (『』諏訪教育会編 中央企画 1983【N241/7a/3) -
慈雲寺寺誌編纂委員会/著 , 慈雲寺寺誌編纂委員会 , 慈雲寺寺誌編纂委員会. 白華山慈雲禅寺. 白華山慈雲寺, 2004-10.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059150460-00 (【N184/33】) -
下諏訪町誌増補版編纂審議会 編纂 , 下諏訪町 (長野県). 下諏訪町誌 中巻 増訂版. 甲陽書房, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002020020-00 (【N241/36a/2】) -
阿部 芳春/著 , 阿部 芳春. 信濃名僧略伝集. 梓川書房, 1976-10.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059269014-00 (【N180/70】) -
岐阜県. 岐阜県史 史料編 古代・中世 2. 岐阜県, 1972.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001211701-00 (【215.3/ギフ/2-1-2】) -
岩永 紘和 , 岩永 紘和. 戦国期東海・甲信地方における臨済宗妙心寺派の地方展開. 2020-08. 信濃 [第3次] / 信濃史学会 編 72(8) (847) p. 625-647
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I030600706-00
-
諏訪教育会/編 , 諏訪教育会 , 諏訪教育会. 諏訪史料叢書 復刻 第3巻. 中央企画, 1983-00.
- キーワード
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- 慈雲寺
- 天桂玄長
- 下諏訪町
- 寺院
- 照会先
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- 白華山慈雲禅寺
※下諏訪町サイト 観光施設から[最終確認2022.12.4]
- 白華山慈雲禅寺
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000325058