レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年10月24日
- 登録日時
- 2007/12/05 12:45
- 更新日時
- 2009/10/24 12:23
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-0896
- 質問
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解決
江戸時代に岩村藩領だった跡部村(現関市武芸川町)に築かれた堤防について、対岸にある尾張藩の堤防より低く築くように定めた御触書などの史料はあるか。また他の小藩について同様の史料があるか。
- 回答
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1 跡部村の武芸川に作られた堤防「能登様堤」については『新修武芸川町史』(武芸川町,2005 郷土:242.3/ム)p.247にあるが、尾張藩の堤防より低く作られたことに関する記述はない。
2 尾張藩が慶長年間に木曽川に築いた「御囲堤」に関する記述で、対岸にある他藩の堤が御囲堤より3尺低く作られるよう規制されていたという説は、複数の資料で紹介されている(参照資料下記)が、いずれの資料でもそのことが明確に記録された史料は見つからないとしている。御囲堤の築造以降、美濃側の洪水数が増え輪中の開発が進行したこと、尾張藩が木曽川の管理に強い権限をもっていたことなどから、史料としては残っていないが、規制は存在していたとする資料もある(参照資料3 p.4)。
3 寛政3、11年に尾張藩が堤を3尺高くかさ上げしたとする尾張藩の史料『国秘録』の記述を紹介し、上の説がこの頃より起こったのではないかと推定する資料もある。(参照資料1 p.113-114、2 p.268-269)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
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- 『岐阜県治水史 上』(岐阜県,1953 郷土:517/ギケ) (1)
- 『木曾三川流域誌』(建設省中部地方建設局,1992) (2)
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『輪中と治水』(岐阜県博物館,1990 郷土:517/ワ)
(3
) - 『木曽三川に生きる 川の歴史を知る』(木曽三川と文化の研究会,1994 郷土:517/キ)
- キーワード
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- 治水-歴史
- 輪中
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000040051