レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年09月01日
- 登録日時
- 2009/04/06 20:05
- 更新日時
- 2011/12/07 23:31
- 管理番号
- 市川20080901-02
- 質問
-
市川市でも戦後「二部授業」というものがあったらしいが、それについて何かわかるものはあるか。
- 回答
-
『千葉県東葛飾郡誌』の「国分尋常高等小学校」の説明に「明治四十二年(中略)一年二年の児童は二部教授を編制す、(中略)大正三年四月二部教授の編制を廃し…」とあり。
『国分:創立百二十周年記念誌』によると
53ページ “(明治)四十二年には児童数がふえたため、(中略)一、二年生を二部授業といって午前組と午後組にわけたりしました。”
36ページ “大正六年十月のつなみと大水(中略)このとき、国分小学校でも校舎が一むねかたむき、午前と午後の二部授業したといわれます。”
なお、二部授業に関する規定がはじめて登場するのは、1891年(明治24)11月に定められた「学級編制等ニ関スル規則」。同規則は『新教育学大事典7』(第一法規出版 1990)に掲載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 教育史.事情 (372 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 教育史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000053621