レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/01/08
- 登録日時
- 2009/04/01 02:11
- 更新日時
- 2009/04/15 02:11
- 管理番号
- 千県中千葉-2008-0006
- 質問
-
解決
「八日市場の日色玄蕃(ひいろげんば)という人物」について知りたい。
日色玄蕃という人物について、史料(古文書等)の有無や
何か詳しいことがわかったら教えて欲しい。
千葉県立図書館ホームページ(http://www.library.pref.chiba.lg.jp/)の「東総地域人名索引検索」機能でフリーキーワード「日色玄蕃」で検索し次のような検索結果を発見した。
[検索結果]平山有盈【ヒラヤマアリミツ】 [生・没年]~元禄9(1696)8月7日 [業績]平山季家の次男として生まれる。日色玄蕃の次女を妻とする。
- 回答
-
< >内は請求記号
「東総地域人名索引検索」の結果の典拠である『多古町史 下巻』(多古町 1985)p18には“二男有盈は清蔵・丸右衛門を名乗り、元禄9年(1696)八月七日没。夫人は八日市場門前十二軒党日色玄蕃の二女である”とあり。
その他以下の資料を調査したが、それ以上の記述は見つけられず。
『千葉大百科』(千葉日報社 1982)<29135/C42>
『八日市場市史 下巻』(八日市場市 1987)
『八日市場の村々』(八日市場市史編さん委員会 1978)
『匝瑳郡誌』(千葉県匝瑳郡教育会 1921)
『資料の広場』(No16-18 千葉県十二郡誌人名索引(稿) 1-3 千葉県立中央図書館 1984-1986)<02513/C42/16-18>
『郷土資料総合目録 第1集』(千葉県立中央図書館 1973)
「千葉県歴史関係雑誌記事索引」(千葉県立図書館ホームページ
http://ref-ap.library.pref.chiba.lg.jp/mokuji/mokuji_search.php?q=688765249)
地元である匝瑳市立八日市場図書館に照会したところ、市史編さんに20数年間携わった方がおり、以下のような回答を得た。
八日市場では日色玄蕃についての資料は見つかっておらず、八日市場門前十二軒党も同様で伝承等もない。しかし、八日市場門前とは八日市場村見徳寺(けんとくじ)の門前町をいったもので、明治末期まで使われ、現在は万町(よろずまち・よろずちょう)と呼ばれている。町集落の形成は、天正期頃からで、江戸時代初期には30軒ほどあり、1660年頃から増加したとされる(『八日市場市史 下巻』p297)。今回の指摘から「十二軒党」については30軒ほどの中で、草分けの家と見られた家をそうよんでいたのだろうと考えられる。
なお、成田市の場合にも「十七軒党」という言葉があり、これは成田山が中世末期に現在地に遷座した当時、成田村の家数が十七軒であったという伝承からで、これらの家は歴史を誇り何かと村内の問題を左右してきたと『成田市史 中世・近世編』(成田市 1986)に説明されている。
(インターネット最終アクセス:2009年3月22日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
千葉県立中央図書館の東総地域人名索引検索
多古町史 下(18)
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
-
-
多古町史 下巻 多古町 1985
(9200333369) -
八日市場市史 下巻 八日市場市 1987(9200289378)
-
多古町史 下巻 多古町 1985
- キーワード
-
- 門前十二軒党
- 千葉県-八日市場市(現・匝瑳市)
- 日色玄蕃
- ひいろげんば
- 照会先
-
- 匝瑳市立八日市場図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000053285