レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/06/28
- 登録日時
- 2009/04/01 02:11
- 更新日時
- 2009/04/15 02:10
- 管理番号
- 千県中千葉-2008-0003
- 質問
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解決
府馬(千葉県山田町)出身の布施きんご(漢字不明)について知りたい。明治か大正の頃に古内(ふるうち)という所に塾を開いていたが、若いうちに上京して、東京大学か東洋大学の教授をしていたようだ。古内に石碑があるらしい。石碑の場所や書いてある内容は不明。確かではないが、昭和に二松学舎大学の学長をした那智佐伝(又は佐典)が府馬出身なので、布施きんごを東京へ呼び寄せたのかもしれない。
- 回答
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横須賀司久「那智佐典先生に就いて」(『陽明学』17号 那智惇斎特集号 二松学舎大学東アジア学術総合研究所陽明学研究部 2005)p141-162の中に次の記述あり。
p144”惇斎先生の「菁菁学舎」が閉じられると、布施倪斎という郷先生が府馬に「克復館」を開いた。克復館は其の地にねずき長く続き、碑は惇斎先生よりも早く建てられたので、幾分大きい。(中略)なを倪斎先生の長男が欣悟氏で、東京帝大へ進んだが、惇斎先生が色々と面倒をみたとのこと、帝大の関係で、撰文は塩谷節山先生である。”
(*惇斎先生は那智佐典のこと)
『山田町史』(山田町 1986)などには、布施欣悟について記述は見つからない。『山田町史』p534,668に、布施亀次郎が克服館を開いたとあるので、布施欣悟の父の布施倪斎と布施亀次郎は同一人物と思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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『那智惇斎特集号』(張明輝編集責任 二松学舎大学東アジア学術総合研究所陽明学研究部 2005.3『陽明学』第17号)
(0200883290)
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『那智惇斎特集号』(張明輝編集責任 二松学舎大学東アジア学術総合研究所陽明学研究部 2005.3『陽明学』第17号)
- キーワード
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- 千葉県-山田町(現・香取市)
- 那智佐伝
- 那智佐典
- 布施倪斎
- 布施亀次郎
- 布施欣悟
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000053283