レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年12月01日
- 登録日時
- 2007/01/05 14:42
- 更新日時
- 2009/03/04 19:20
- 管理番号
- 山形県-2006-0063
- 質問
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解決
太閤検地後の庄内一揆を鎮圧した尾浦(大浦)城主 松本伊賀守(信濃守ともいう)について書かれた資料はどんなものがありますか。
- 回答
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当館所蔵では以下の資料に記載がありました。
1『山形県史 第二巻』最上義光の庄内攻めの状況として「尾浦城代松本伊賀助義に降伏をすすめたが、彼は応ぜず交戦に及び、松本は十月十一日嫡男猪兵衛とともに討死した。」と書いてありました。
2『鶴岡市史 上巻』「(下吉忠は)…荘内攻撃の先鋒を勤めて尾浦を攻囲し、守将松本伊賀守助義に降をすすめたががえんじなかったので、遂に之を攻落し…」と記載あり。
3『大山町史』には直江兼続の政治として「松本信濃を大浦の城代とし…」と書いてあり、関ヶ原の戦と最上氏の荘内領有のところには、「当時の大宝寺城将は下次右エ門、尾浦城将は松本伊賀守助義であった。」「尾浦城の城将松本伊賀は下の降服の勧誘を拒絶し、激しい戦闘の末全滅した。」
4『山形県中世城館遺跡調査報告書 第3集』には「慶長5年(1600)の出羽合戦では、最上勢の攻撃を受けて上杉方の城将松本信濃父子が討死、その後城は山麓に移され同8年大山城と改められた。」とでております。
5『上杉家御年譜24』の御家中諸士略系譜の中に「松本伊賀助義」あり。
6『新編庄内人名辞典』の中には「松本信濃(まつもとしなの)」で掲載ありました。別名のところに「大炊助・伊賀・助義」とでています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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上杉家御年譜 二十四/米沢温故会/編
山形県史 通史編 第2巻/山形県/編 -
大山町史/齋藤正一・佐藤誠郎/共著
鶴岡市史 上巻/鶴岡市ほか/編
山形県中世城館遺跡調査報告書 第3週/山形教育委員会/編
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上杉家御年譜 二十四/米沢温故会/編
- キーワード
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- 松本伊賀守
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000032707