「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし。」(ここまでが引用)
(真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし。)
田中正造が1912(明治45)年6月17日の日記に書いた言葉で、次の資料に記載されています。
・『田中正造全集 第13巻 日記』 田中正造全集編纂委員会/編 岩波書店 1977 p.260
なお、上記資料の解題(p.547-558)によれば、この日記が書かれた当時は田中正造の最晩年。
治水問題へ熱心に取り組み、旧谷中村の遊水地化反対運動に関わっていた時期だったとのことです。
(谷中村は栃木県下都賀郡にあった村。1906(明治39)年に藤岡町へ併合。ちなみに、藤岡町は2010年に栃木市へ併合)
Googleマップで谷中村を検索すると、「渡良瀬遊水地谷中村跡」という場所がありましたので、参考までにURLを記します。
http://goo.gl/maps/76ew谷中村と田中正造との関わりについて、さらに理解を深めるための資料としては、次のようなものがあります。
・『鉱毒に消えた谷中村: 田中正造と足尾鉱毒事件の一〇〇年』 塙和也/編著 随想舎 2008 287p
・『谷中村滅亡史』 荒畑寒村/著 岩波書店 1999 196p
・『鉱毒非命: 田中正造の生涯』 下山二郎/著 国書刊行会 1991 352p
・『田中正造』 由井正臣/著 岩波書店 1984 224p
・『田中正造の生涯』 林竹二/著 講談社 1976 238p
・『谷中村事件: ある野人の記録・田中正造伝』 大鹿卓/著 新泉社 1972 374p
【関連事例】
足尾鉱毒事件で、谷中村が藤岡町に合併した経緯についての行政側の資料を見たい。(埼玉県立久喜図書館)
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000030305大正5年11月22日、栃木県知事が谷中堤内居住の残留民に対して出した立ち退き命令の文書を探しています。(栃木県立図書館)
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000002602