(1)高松市近代教育史 熊野勝祥/著 香川県図書館学会 2011.11
p.90に次の記述あり。(索引より)
「柴山高等小学校
香川郡宮脇村の新校舎が落成して移転、31年度5学級、191名の高等小学校としては小規模校であるが、高松高等小学校と別れたライバル校の位置を占めていた。
明治33年4月には、分教場を中山尋常小学校に併置し、下笠居村出身の生徒の遠距離通学に備えた。(明治38年4月、同校は高等科を併置し、下笠居尋常高等小学校となった。」
明治34年には、381名の6学級、35年度には370名8学級へと発展していった。
(2)香川県明治教育史 熊野勝祥/著 香川県図書館学会 2000.12
p.491-492に次の記述あり。(索引より)
「中ノ村高等小学校(のちの紫山高等小学校)
26年5月10日開校、栗林尋常小学校長岡内清太が校長に任命された。(中略)『香川県学事年報』によれば、明治29年より紫山高等小学校と改称している。『讃岐香川郡志』では明治26年からとなっているのは誤りである。29年2月、新築の話が持ち上がり、郡役所で組合会を開いている。その新築の位置は、宮脇村宮脇尋常小学校の北側に決定、6月末までに新築が落成することになった。(『香川新報』明29.2.16・3.28・4.9)紫山高等小学校への改称は、新校舎へ移った時であり、紫雲山麓であったことから称したという。」
(3)栗林郷土誌 高松市立栗林公民館/編 栗林地区地域おこし事業推進委員会 1996.9
※p.358「3 紫山高等小学校誕生」、「4 学校制度の改正」の項に関連記事あり。
「3 紫山高等小学校誕生
児童数の増加と遠距離のため明治二十六年四月に紫山高等小学校を宮脇、栗林、東浜、上笠居、中笠居、雌雄島、直島の九ケ村の組合をもって設置した。校舎は栗林公園の北部紫雲山の下であった。
上笠居、中笠居、下笠居各村、雌雄島村、直島村が遠距離のため順次分離したため、明治四十五年四月に組合は解散した。
明治三十五年頃には、就学率が九十%に達した。」
「4 学校制度の改正
明治四十年には尋常小学校を初等科の六年制と高等科の二年制として、初等科の六年間を義務制にした。
実際は移行期間があり、栗林小学校では、明治四十一年四月より五年制で、明治四十二年四月より六年制となる。そして高等科が二年間となる。
この間の教室は、紫山高等小学校の教室を借りて明治四十五年まで授業を続けた。
明治四十五年四月に紫山高等小学校は解散して、亀阜高等小学校となる。引き続いて、尋常五・六年の男子と高等一年男女・高等二年男女は亀阜校を借りて授業を行ってきた。」
(4)亀阜百年 高松市立亀阜小学校/編・発行 1971.10
巻末「沿革年表」に次の関連記事あり。
p.89 明治26年4月 9か村組合紫山高等小学校が開設
明治27年3月 紫山高等小学校第1回卒業、男子19名、女子3名
明治28年3月 紫山高等小学校第5回卒業、男子26名、女子10名
明治36年3月 第10回紫山高等小学校、男子30名、女子17名
明治45年4月 9か村組合紫山高等小学校が廃校となり、香川郡亀阜高等小学校を設(以下脱字)