レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/03/16
- 登録日時
- 2012/11/07 02:05
- 更新日時
- 2012/11/07 02:05
- 管理番号
- 横浜市中央2011
- 質問
-
解決
横浜市鶴見区の総持寺(そうじじ)付近にある総持寺踏切の設置年が知りたい。
昔から「開かずの踏切」として問題があったのか。
- 回答
-
鉄道敷設初期に当該の場所に踏切があったということが推測されますが、
具体的な設置年についての記述等は見つかりませんでした。
調査した資料は、次のとおりです。
1 図書
(1)『鶴見区史』鶴見区史編集委員会/編 鶴見区史刊行委員会 1982年
p.393「三 交通機関の発達」で鉄道についても記載はありますが、
踏切についての記載はありませんでした。
(2)『踏切便覧 昭和41年8月』神奈川県警察本部交通部 1966年
p.13 東海道線に総持寺の項目がありますが、設置年等の記載はありませんでした。
(3)『図表と写真でつづる日本鉄道請負業史』日本鉄道建設業協会/編
日本鉄道建設業協会 1997年
踏切について記載はありませんでした。
(4)『日本交通変遷図鑑 鉄道篇』高島浩/編集 時事綜合通信社 1957年
p.108に踏切の数と踏切事故数のみ記載がありました。
(5)『鶴見総持寺物語』齋藤美枝/著 鶴見区文化協会 2011年
p.188 總持寺駅の計画について記載がありますが、踏切については記載はありません。
(6)『日本国有鉄道百年史 第2巻』日本国有鉄道 1970年
p.337 「列車の運行と一般通行者の保安問題は、鉄道創業時から考慮が払われて
いた。」とあります。
また、「鉄道古文書」(鉄道博物館で収蔵)に収録されている明治6年10月制定の
「鉄道寮汽車運輸規定」第7条第177測によると、
「① 通煩雑の踏切道には門扉が設けられていたこと。
②この門扉は常時列車の通過する線路を遮断しており、列車が通過するときにだけ
門扉を開いていたこと。
③また門を閉じている間は危害の合図をする設備が線路の両側に施されていた。」
とあります。
p.121 に「公文類聚 第11編第37巻 運輸門」と説明のある踏切の図が掲載されて
います。
この「公文類聚」を国立公文書館デジタルアーカイブで調べましたが、次のデータ中
には公開されていませんでした。
「公文類聚・第十一編・明治二十年・第三十七巻・運輸門七・橋道四」
国立国会図書館でも「公文類聚 第11編」は所蔵しています。
(7)『鉄道踏切の件陳情』荒井熊次郎ほか/著 荒井熊次郎 1928
昭和3年に「鶴見神社脇踏切」と「総持寺前踏切」の2か所について、人の往来が多いから、
地下道の建設をしてほしいとの陳情書が出されたことについて記載があります。
当時、すでに踏切があったことが分かります。
2 インターネット
(1)国立公文書館デジタルアーカイブ 重要文化財等コンテンツ
「新橋横浜間鉄道之図」
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000953
この図の説明では「作成した機関、年月日は不明ですが、恐らく鉄道を所管した
工部省が仮開業前後に作成し、太政官に提出したものと思われます。」とあります。
この図から総持寺踏切の場所に、鉄道を横切る道路があることが分かります。
(2)国土交通省道路局ホームページ「踏切道の現状」
http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/fumikiri/fu_01.html
「明治5年(1872年)10月14日に新橋~横浜間に、我が国初の鉄道が開通しましたが、
踏切はその頃より存在していました。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 鉄道運輸 (686 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 總持寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000113734