レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/12/01
- 登録日時
- 2012/12/29 02:00
- 更新日時
- 2012/12/29 02:00
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-100485
- 質問
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解決
現在の自由ヶ丘団地(宮城野区)のあたり,昭和36年頃に追分地区と呼ばれていた地域を知りたい。
自由ヶ丘造成前は,安養寺上という町名であるが,追分という字名ではない。
- 回答
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資料1 『追分部落分散記念』1970【K292.5/オ12】
上記資料に,「追部部落」についての記述がありました。
「(前略)中野地区の中央部にあって,東は貞山堀,北新田,北は沼向,西は甲区,南は和田新田,西原区に接する。これが追分である。(港湾の西南にかかったところ)(後略)」
「(前略)昭和39年仙台湾築港用地買収の働きかけに端を発し,爾来七ヶ年,紆余曲折を経て,我が追部部落は昭和45年9月解散するに至った(後略)」
なお,地区民の移転先としては,安養寺地区が最も多かった旨同資料に記載がありました。
資料2 『ゼンリンの住宅地図仙台市北部 1968』住宅地図出版社, 1968【K292.5/シ3/43-1タ】
pp.121-122で「追分」の場所を確認することができます。
上記【 】は当館請求記号です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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現在も残る大堤沼の北側だと思われるのですが、泉区と宮城野区の境、松森街道の天ヶ沢、陣ヶ原を分けるあたりとも小松島のキリスト教育児院あたりとも聞きますが、特定はできません。
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮城県仙台市
- 追分
- 安養寺
- 仙台港
- 建築
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000117683