レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年6月15日
- 登録日時
- 2006/07/16 15:19
- 更新日時
- 2017/02/06 17:56
- 管理番号
- 吹-60-2016-005
- 質問
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解決
地名「岸部」「岸辺」「吉志部」(きしべ)(大阪府・吹田市)の違いとそれぞれの由来
- 回答
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この地域は、朝鮮からの渡来人である吉師(吉士)(きし)が住んでいたことから、古来より「吉師部(きしべ)の里」と称されていた。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p1、『わが町きしべ』p10)
この吉師が釈迦が池(しゃかがいけ)の大蛇を退治し、その偉大な志を人々がたたえたという伝説から、吉師の師を志と改め、「吉志部(きしべ)」となったと伝えられている。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p14)
長寛2年(1164年)の文書に「吉志部村」とあるのが初見である。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)
「吉志部」が「岸部」となったのは、明治22年(1889)の町村制施行で、吉志部村、南村、東村、七尾(ななつお)村、小路(しょうじ)村の五ヶ村を合併し、「岸部村」とした折である。(『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』p1~2、『わが町きしべ』p45、『地名の由来』p95)
この時、「吉志部」の名前は大字(おおあざ)となって残った。(『わが町きしべ』p45、『地名の由来』p96、『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)
その後、昭和15年(1940)に「岸部村」は、吹田(すいた)町、千里(せんり)村、豊津(とよつ)村との合併によって吹田市となり( 『郷土吹田の歴史』p197)
「岸部」の名前はなくなったが、「吉志部」という大字はそのまま継承された。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368)
昭和50~51年(1975~1976)の町名変更で、旧村の五大字(吉志部、南、東、七尾、小路)と近隣の錯雑地が、「岸部北(1~5丁目)」、「岸部中(1~2丁目)」、「岸部南(1~3丁目)」となり、「岸部」の名称が復活した。(『角川日本地名大辞典 27 大阪府』p368、『大阪の地名由来辞典』p114~115)
「岸辺」の由来は国鉄の駅名によるものである。昭和22年の新駅設置の際、岸部村の素封家・中西鉄蔵(なかにしてつぞう)氏が、「岸辺」駅と命名した。(『研究紀要 第44号 吹田の歴史学習資料集』p31)
なぜ「岸部」でなく、「岸辺」としたかについては、①「岸部」を「キシブ」と読む乗客もあるだろうから、できるだけ正しくキシベと読める「岸辺」の文字をあてた(参考資料3 p31~32)、②この辺りが古代浪華(なにわ)の海辺にあたることから という説がある。(『地名の由来』p95)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 『吹田市吉志部ふるさとの今昔 社寺編』(辰奥金次/著 [辰奥金次] 1972) (p1~2,14)
- 『わが町きしべ』(「わが町きしべ」編集委員会/編集 吹田市立岸部第二小学校創立三十周年記念実行委員会 2002) (p10,45)
- 『研究紀要 第44号 吹田の歴史学習資料集』(吹田市立教育研究所/編集 吹田市立教育研究所 1979) (p31~32)
- 『地名の由来』(亘節/著 吹田市立図書館 市報すいた昭和40年6月10日号~昭和41年6月10日号) (p95~96)
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吹田市総務部市史編さん室 編集 , 吹田市総務部市史編さん室. 郷土吹田の歴史. 吹田市, 1990.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I029878942-00 (p197) -
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 27 (大阪府). 角川書店, 1983.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001634903-00 (p368) -
堀田暁生 編 , 堀田, 暁生, 1945-. 大阪の地名由来辞典. 東京堂出版, 2010.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010948494-00 , ISBN 9784490107746 (p114~115)
- キーワード
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- 岸部(きしべ)
- 岸辺(きしべ)
- 吉志部(きしべ)
- 吉師部(きしべ)
- 吹田市(すいたし)
- 大阪府(おおさかふ)
- 地名ー由来
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000029602