レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年11月10日
- 登録日時
- 2020/11/10 13:21
- 更新日時
- 2021/12/28 11:38
- 管理番号
- 静岡郷土-32
- 質問
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未解決
静岡市宝台院に戦前まで安置されていた日清戦争における戦死軍人肖像99体について、どのような像であったのか、どのように扱われてきたのかなどの情報があれば是非ご教示いただきたいと思います。
1898年1月2日に手塚忠兵衛の夢に宝台院に安置すべきとのお告げがあり、1899年3月に像が完成したようです。
1940年の大火で焼失したのではないかと思われます。
- 回答
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質問の件について記述している資料は見つけられなかったが、以下の資料に関連する記述あり。
『森田鶴堂翁伝』白鳥 金次郎/著(S289/モ4/)
「宝台院額面見積り書」(111~114p)
『写真集明治大正昭和静岡 ふるさとの想い出13』小川 竜彦/編著(S222/84/)
「204 宝台院のラジオ体操」(112P)に宝台院の写真(上記の森田鶴堂が製作した額と思われる絵が写っている)と説明文がある。
『思い出のしずおか』小川 竜彦/著(S292.2/29/)
「48 宝台院 名画・日清戦争の額」(50p)
以下の資料には関連する記述がなかった。
『伊豆の長八・駿府の鶴堂 漆喰鏝絵 天下の名工』創碧社/編集・制作(S080/31/11)
手塚忠兵衛が蓬莱楼(遊郭)を経営し、森田鶴堂のパトロンであったことの記述がされている。
『静岡県明治銅版画風景集』静岡 羽衣出版(S290/126/)
手塚忠兵衛の蓬莱楼の外観の銅版画が載っている。
『宝台院写真帖』(S185/148/)
宝台院の写真(年代不明、下の資料から推測するに焼失前か)が載っている。内部の写真が多数みられるが、肖像が写っている写真なし。
『宝台院写真帖 宝台院類焼跡』(S185/148/)
宝台院の写真(年代不明)が載っている。焼失前と思われる外観の写真もあるが、肖像は写っていない。
『静岡市いまむかし 写真集』静岡 静岡郷土出版社(S222/120/)
大正時代の宝台院の本堂と総門の写真が載っている。肖像は写っていない。本堂の写真に上記の森田鶴堂が製作した額と思われる絵が写っている。
『宝台院保勝会趣意書 草案』〔静岡〕宝台院保勝会(S180/26/)
『駿河の古寺』駿河の古寺(S185/61/)
『静岡名墓誌 麗沢叢書 第6輯』柘植 清/編(S280/123/)
肖像についての記述なし。
『静岡市の100年写真集』静岡新聞社/編(S222/121/)
『静岡県の百年』静岡県/編( S209/20-2/)
日清戦争との関係では招魂社の設立のみ記述されている。
『静岡県史 通史編5 近現代』静岡県/編(S209/3-3/)
『静岡市の百年 明治』山内 政三/著(S222/117/)
記述なし。
- 回答プロセス
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まずは当館所蔵資料を「宝台院 静岡」で全項目検索して出てきた資料を確認した。
その後、県史及び市史等を確認し、その後戦前の静岡市の写真や堂版画が載っている資料を確認していった。
戦前の新聞に関連記事がないか各種新聞データベースも確認した。
- 事前調査事項
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宝台院のHPに写真や記述がないか確認した。
- NDC
- 参考資料
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白鳥金次郎 著 , 白鳥, 金次郎, 1896-. 森田鶴堂翁伝. 森田鶴堂翁顕彰刊行会, 1955.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000945535-00 -
小川龍彦 編著 , 小川, 竜彦, 1910-1988. 写真集明治大正昭和静岡 : ふるさとの想い出13. 国書刊行会, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001399876-00 -
小川竜彦 [文・画] , 小川, 竜彦, 1910-1988. 思い出のしずおか. 中日新聞ショッパー社, 1975.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001222528-00
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白鳥金次郎 著 , 白鳥, 金次郎, 1896-. 森田鶴堂翁伝. 森田鶴堂翁顕彰刊行会, 1955.
- キーワード
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- 宝台院
- 森田鶴堂
- 手塚忠兵衛
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000289317