レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年01月17日
- 登録日時
- 2023/05/14 18:09
- 更新日時
- 2023/05/14 18:18
- 管理番号
- 9000037786
- 質問
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解決
作家の故・北杜夫が、慶応病院入局3年目に医局から赴任したという山梨県立病院がどこか知りたい。
北杜夫は精神科医だったので、精神病院か総合病院の精神科だったと思われる。著書『どくとるマンボウ医局記』によると、当時そこは相当古い建物だったようだが、玉緒村にあったという山梨県立精神病院は昭和28年11月に竣工で、『どくとるマンボウ医局記』の記述にある病院に該当しない。
- 回答
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北杜夫(斎藤宗吉)は、1955(昭和30)年12月から1年間、山梨県立精神病院に勤務していたことが、当時の『山梨県職員録』等から確認できた。
『どくとるマンボウ医局記』には「聞きしにまさる古びた建物」「老朽の建物」などの記述があるが、山梨県立精神病院の建物は、1953(昭和28)年11月に竣工しており、当時は築3年程度である。また「山梨県立精神病院で病院関係者とともに撮影されたと思われる」写真でも、老朽化している建物であることは確認できなかった。
- 回答プロセス
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1.質問の出典を確認。
・『どくとるマンボウ医局記』(北 杜夫/著 中央公論社 1993年)〈資料番号0102615028〉p.176には、「到着した病院は聞きしにまさる古びた建物であった。当時、山梨県はごく貧乏であったからである。しかし、初めは嫌だったのが、その老朽の建物を見ると私はすっかり嬉しくなってしまった。」とある。
2.勤務先について調査
(1)山梨県立文学館の「北杜夫展」の図録を確認。
・『北杜夫展:ユーモアがあるのは人間だけです』(山梨県立文学館/編集・発行 2016年)〈資料番号0106754898〉→pp.26-31「山梨県の病院へ売り飛ばされたこと」によると、北杜夫(斎藤宗吉)は、1952(昭和27)年3月に東北大学医学部を卒業し、大学病院でのインターンを経て翌年慶應義塾大学医学部神経科教室に入局。1955(昭和30)年12月医局から派遣され、山梨県立精神病院に赴任した。
(2)当時の『山梨県職員録』を確認
・全ての年代がそろっていないので、確認したのは昭和29年10月25日現在、昭和31年2月1日現在、昭和31年11月1日現在、昭和32年11月1日現在、昭和33年12月16日現在。
・「斎藤宗吉」の名前は、昭和31年2月1日現在と、昭和31年11月1日現在の2冊に、いずれも山梨県立精神病院(甲府市里吉町836-2)の職員として記載がある。
・また、『山梨県職員録』昭和31年2月1日現在に記載のある県立病院は、「県立病院(甲府市錦町4)」「相川診療所(甲府市穴切町412)」「精神病院(甲府市里吉町836-2)」の3院、『山梨県職員録』昭和31年11月1日現在に記載のある県立病院は、「県立病院(甲府市錦町4)」「精神病院(甲府市里吉町836-2)」の2院。「県立病院」(山梨県立中央病院)には、精神科は設置されていない。
(3)山梨県立文学館の研究紀要を確認。
「資料と研究 第二十二輯」(山梨県立文学館 2017.3.31)〈資料番号0202183109〉→pp.17-30「望月市恵・保坂徳蔵・なだいなだ・山川方夫 北杜夫宛書簡 翻刻」(保坂雅子)には、「甲府市里吉町 県立山梨精神病院 斎藤宗吉」宛の書簡が掲載されている。
3.山梨県立精神病院の建物(外観・内観)について調査
・『山梨県立北病院60周年記念誌』(山梨県立北病院 2015年)〈資料番号0106844251〉に沿革、歴史や病院の外観、院内の写真の掲載あり。県立精神病院の建物は、昭和28年11月に竣工し、昭和29年1月から業務を開始しており、昭和33年に山梨県立玉諸病院と改称されている。
・前出『北杜夫展:ユーモアがあるのは人間だけです』p.30に「山梨県立精神病院で病院関係者とともに撮影されたと思われる」写真1葉の掲載あり。ここに写っている建物は、老朽化している建物ではない。
- 事前調査事項
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山梨県庁に問い合わせたところ、現在甲府市里吉町(当時は玉緒村)にあった県立の精神病院を紹介されたが、沿革では昭和28年11月に竣工、翌年1月に業務開始なので、北杜夫の言う古かった病院には該当しない。
- NDC
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- 日本文学 (910 10版)
- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 10版)
- 参考資料
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山梨県/編 , 山梨県. 山梨県職員録 昭和31年2月1日現在. 山梨県総務部人事課, 1956.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005539909-00 (p.95) -
山梨県/編 , 山梨県. 山梨県職員録 昭和31年11月1日現在. 山梨県総務部人事課, 1956.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005539911-00 (p.73) -
山梨県立文学館/編集 , 山梨県立文学館. 北杜夫展 : ユーモアがあるのは人間だけです. 山梨県立文学館, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I074930947-00 (pp.26-31) - 平成28年度企画展をめぐって 北杜夫展 ユーモアがあるのは人間だけです. 山梨県立文学館, 2017. 資料と研究 第二十二輯 (pp.17-30)
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[山梨県立北病院/編] , 山梨県立北病院. 山梨県立北病院60周年記念誌. 山梨県立病院機構山梨県立北病院, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I088472513-00 (pp.2-16)
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山梨県/編 , 山梨県. 山梨県職員録 昭和31年2月1日現在. 山梨県総務部人事課, 1956.
- キーワード
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- 北杜夫
- 「どくとるマンボウ医局記」(北杜夫)
- 山梨県立精神病院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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質問の出典・情報
『どくとるマンボウ医局記』(北 杜夫/著 中央公論社 1993年)p.176に、「もっとも貧弱な病院らしかった。」「その病院は聞きしにまさる古びた建物であった。当時、山梨県はごく貧乏であったからである。」「老朽の建物」などと書かれている。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333145