レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/11/08
- 登録日時
- 2022/12/21 00:30
- 更新日時
- 2023/01/29 08:21
- 管理番号
- 北方 22-0026
- 質問
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解決
北海道大学大学文書館ホームページに、展示されていた「遠友夜学校の歴史」の「遠友夜学校沿革略年表」に、「1921年6月、有隣夜学校が独立して学校組織が分裂」とある。これは、その後にできた「中等夜学有鄰館」の創設発端ことを指していると思われるが、遠友夜学校での分裂の発生状況を知りた
い。
- 回答
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北海道大学学術成果コレクション「HUSCAP」に『北海道大学大学文書館年報16』のp.72-136「〔展示〕遠友夜学校の歴史」が公開されている。
http://hdl.handle.net/2115/81436(最終確認2022/11/08)
回答資料1では、p.207~208「1 夜間中学としての札幌遠友夜学校」の「1-1 中等部の誕生」に、
「札幌に夜間中学が相次いで設置される。まず、遠友夜学校が分裂した。
これは中等部開設直後の五月、運営を巡って『忌むべき内紛(注8)』が生じたためで、教師八名と生徒二〇名が同校を去り、別に中等夜学有鄰館を開設した(注9)。」とあり、
p.236「注」(8)、(9)には典拠資料が掲載されており、「内紛」の理由については、
「『キリスト教的雰囲気の夜学校にあきたらず』(回答資料2)という説もあるが、論拠に乏しく詳細は不明である。」と記述されている。
同様の内容が回答資料3にも書かれている。
回答資料4p.60にも「当時の教師佐藤一雄が、木下三四彦(札幌の弁護士)らの後援をえて、有隣夜学校を新設し、遠友夜学校から離れた。その間の事情等詳らかにしえない」と書かれている。
回答資料5はp.53小谷代表時代「大正十年六月、有隣夜学校ヲ分離ス。」の記述のみ。
展示を主催した北海道大学大学文書館へ上記以外の当時の参考資料について照会した結果は次のとおり。
(大学文書館回答)
①札幌市公文書館所蔵の新聞スクラップの記事では同館webページの所蔵資料検索「新聞スクラップ」で、「有隣」、「有鄰」の語句検索でヒットし、デジタルデータを閲覧できるが、より詳しい事実関係の記載はなし。
②三上敦史『近代日本の夜間中学』(2005年2月、北海道大学図書刊行会)
p.124-125では、同時期に遠友夜学校と有隣館が中学校程度の課程を設置していることを記している。
遠友夜学校が中学校・高等女学校(戦前は修業5年間)の3年程度までを教えるとしているのに対し、
有隣館は3ヶ年で中等程度を修了するとしていることを紹介している。
新設する中等課程の内容が「内紛」、「分裂」の一因であった可能性を、三上氏は示唆している。
こちらの資料については当館でも所蔵(回答資料6)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会教育 (379 7版)
- 参考資料
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- 1 札幌遠友夜学校の終焉 三上 敦史∥著 [三上敦史] 2003.2 379.3/SA 『北大二十五年史』論文・資料編(2003)抜刷
- 2 明日への架け橋 札幌市中央勤労青少年ホ-ム∥編 札幌市 1984.7 379.3/SA
- 3 1920-30年代における夜間中学の展開 三上 敦史∥著 教育史学会 2001.10 379.3/SE 「日本の教育史学」教育史学会紀要第44集(2001.10.1発行)抜刷
- 4 さっぽろ文庫 18 遠友夜学校 札幌市教育委員会∥編 北海道新聞社 1981 081.2/SA/18-イ
- 5 札幌遠友夜学校 札幌遠友夜学校∥編 札幌遠友夜学校 1964 379.3/SA
- 6 近代日本の夜間中学 三上/敦史?著 北海道大学図書刊行会 2005.2 376.3/KI
- キーワード
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- 北海道大学大学文書館
- 遠友夜学校
- 有隣夜学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000326087