レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/11/02
- 登録日時
- 2007/01/11 02:10
- 更新日時
- 2007/01/11 11:35
- 管理番号
- C2006M1426-1
- 質問
-
解決
宮崎県の土呂久鉱山で生産された亜砒酸(砒素)の流通過程が書かれている資料
- 回答
-
(【 】内は当館請求記号)
『化学工業年鑑』の第4編「商品」に商品毎の規格及荷姿、価格、製造者、販売者、用途、生産、貿易が記載されており、「亜砒酸(As2O3)」は昭和23年版以降立項されています。昭和23~27年版で製造者にあげられている「中島産業」は、土呂久鉱山の鉱山権を当時所有していた中島鉱山株式会社(注1)と考えられます。資料の書誌事項、および閉山(昭和37年)までの該当箇所は次のとおりです。なお、第5編は「会社商店録」になっています。
『化学工業年鑑』化学工業日報社〔編〕 日本マイクロ写真 マイクロフィルム 【YA1-1002】
*「亜砒酸」掲載ページ
昭和23年版~昭和24年版:各々、第4編のp.11
昭和25年版~昭和27年版(昭和26年版併合):各々、第4編のp.13
昭和28年版~昭和29年版:各々、第4編のp.16
昭和30年版~昭和37年版:各々、第4編のp.21
そのほかに当館蔵書目録、雑誌記事索引、および当館所蔵の主な鉱業関係統計・便覧・年鑑、地方史(高千穂町)、社史(注2)、土呂久鉱山関連資料、環境・化学・化学兵器に関する参考図書類を調査しましたが、該当資料は見当たりませんでした。
また、NACSIS-webcat(http://webcat.nii.ac.jp/)等にも該当資料は見当たりませんでした。
(注1)土呂久鉱山の沿革
1918年頃竹内答作が鉱区権を取得して亜砒酸製造を開始、1933年中島飛行機系列会社が鉱業権買収、1944年国策会社帝国鉱業開発会社に吸収、1954年中島鉱山株式会社が亜砒酸製造再開、1962年閉山、1967年住友金属鉱山株式会社に鉱業権を譲渡。(『高千穂町史.本編』(高千穂町 1973【GC289-8】)のp.583「高千穂地方鉱山開発史表」、『環境大事典』(吉田邦夫監修 工業調査会 1998.12 【E2-G144】)のpp.48~49「土呂久鉱毒事件」、『土呂久鉱毒事件』(田中哲也著 三省堂 1973 【EG283-126】)のpp.27~28による。)
(注2)社史
土呂久の鉱山権を所有していた中島鉱山(株)、帝国鉱業開発会社、住友金属鉱山(株)の3社の社史を調査しました。
・中島鉱山(株)の社史は当館未所蔵。川崎図書館社史・技報・講演論文集検索
(http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kawasaki/cole.htm)等でも見当たらず刊行の有無は不明です。
・『帝国鉱業開発株式会社社史』帝国鉱業開発株式会社編 金子出版 1970 DH22-172】
・『住友金属鉱山二十年史』住友金属鉱山 1970 【DH22-220】
ご参考までに昭和36年頃の亜砒酸の製造法や用途などを簡便にまとめた資料をご紹介します。
『資源鉱物ハンドブック』坪谷幸六等編 朝倉書店 1965 【560.36-Si293】
*掲載箇所:pp.429~433「7.3 亜ヒ酸原料」
(インターネットへの最終アクセス日:2006.10.31)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『維持可能な社会へ向かって』(岩波書店 2006)、『日本軍の毒ガス兵器』(凱風社 2005)、『水俣病』(岩波書店 1972)、『口伝 亜砒焼き谷』(岩波書店 1980)、『鉱毒・土呂久事件』(三省堂 1981)、『土呂久鉱害問題と闘う』(鉱脈社 1990)、辺境の石文』(川原一之 径書房 1986)、『記録・土呂久』(土呂久を記録する 会 本田企画 1993)、『怨民の復権』(土呂久・松尾等公害の被害者を守る会 1976)、『怨民の復権Ⅱ』(土呂久・松尾等公害の被害者を守る会 1976)、『浄土むら土呂久』(川原一之 筑摩書房 1988)、『土呂久羅漢』(川原一之 影書房 1994)、土呂久鉱毒判例関係記事、、『パンフレット土呂久』(アジア砒素ネットワーク 2006) 、以上の資料に記述なし
- NDC
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- 化学工業 (570 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 有機砒素化合物
- 鉱物資源
- 鉱業
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 大学図書館
- 登録番号
- 1000032793