レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月29日
- 登録日時
- 2021/12/25 11:13
- 更新日時
- 2022/02/18 17:13
- 管理番号
- 島根郷2021-033
- 質問
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未解決
明治39年に乃木希典が島根に来ているが、その詳しい日程が知りたい。
- 回答
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当時の地元新聞『山陰新聞』(資料3)にあたったところ、下の2点の記事が確認できた。
(明治39年9月16日分については、日時が正確か疑問が残る。)
しかし、益田市に行った日付については、記述がなかった。
・明治39年9月13日2面「乃木特命閲使」
「特命検閲使乃木大将の一行十余名は既記の如く昨日那賀郡浜田着本日より十五日迄三日間浜田衛戌地の部隊官衙検閲に付き(略)」
・明治39年9月16日2面「乃木特命検閲使」
「乃木大将一行は予記の如く十四日午前一時より浜田連隊を閲兵をし(中略)午後一時より戦闘演習 同三時より憲兵分隊を検閲せるか 明十六日は鹿足郡津和野町宿泊の予定にて 乃木大将、大迫少将外随員六名は堀九郎兵衛方 其他木越師団長及び村山旅団長は普通旅館に止宿の筈なりと」
資料4には、乃木三蔵についてや、明治39年の希典島根来訪にも触れられているが、「九月二十五日に津和野の堀家を訪れ」とあり(p.50)、誤植だと思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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質問者が益田市立図書館に問い合わせたところ、資料1、2を紹介されたとのこと。
以下に関連する記述を抜き出す。
・資料1 p.214
「長州藩の戦死者乃木三蔵は、陸軍大将乃木希典の従兄弟にあたり、希典が明治三十九年に妙義山内の彼の墓を詣でたことから(略)」
・資料2 p.54-55
「陸軍大将乃木希典が、明治三十九年九月十六日に当地へ来た。小川小学校日誌に同日乃木大将を送迎したとある。尚本町戝間本店が宿所となり、同家の庭へ松を植えたと伝えられている。同じく乃木大将御手植の松は旧堀家(今のカトリック教会)の邸内にもある」
- NDC
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- 中国地方 (217 8版)
- 日本 (281 8版)
- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 8版)
- 参考資料
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【資料1】益田市誌編纂委員会 編 , 益田市誌編纂委員会. 益田市誌 下巻. 益田市, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069530960-00(当館請求記号:郷貸出291.77/マ/2) -
【資料2】岩谷建三 著 , 岩谷, 建三, 1908-. 近代の津和野. 津和野歴史シリーズ刊行会, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001408663-00(当館請求記号:郷貸出217/143) - 【資料3】山陰新聞 (マイクロ資料)
- 【資料4】「石州口の戦いと乃木希典」内谷知著, 郷土石見, 75号 p.49-51 1976.2.(当館請求記号:SZ20/キ/75 ※貸出禁止資料)
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【資料1】益田市誌編纂委員会 編 , 益田市誌編纂委員会. 益田市誌 下巻. 益田市, 1978.
- キーワード
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- 乃木, 希典, 1849-1912
- 軍隊--島根県--歴史--明治時代
- 軍隊--島根県浜田市--歴史--明治時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 乃木希典 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000309516