レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年11月21日
- 登録日時
- 2022/11/21 09:50
- 更新日時
- 2022/12/27 10:05
- 管理番号
- TCL01-0095
- 質問
-
立川空襲について知りたい
- 回答
-
第二次世界大戦中に、立川市は10回を超える空襲に見舞われています。中でも昭和20年4月3日夜から4日早暁にかけてのB29による空襲は最も激しく被害も最大となっており、たくさんの死傷者、家屋の焼失破壊等が発生しました。
- 回答プロセス
-
1:立川市中央図書館の分類を参考にする。
立川市中央図書館では「地域・行政資料分類表」を設け、地域に関する資料を独自に分類
しています。書名がわからなくても、その分類付近の本を探すと関連する資料にたどり着
けるようになっています。※地区館は分類体系が異なります。
空襲に関連する分類としては、
W-3-10(立川の基地・飛行場)、W-3-02(多摩地域の基地・飛行場)
B-6-10(立川の昭和史-終戦まで)、B-6-02(多摩地域の昭和史)
などが考えられます。
2:市内各団体の周年記念誌や発行物を当たってみる。
学校、自治会、病院等、市内の団体が発行している記念誌や発行物には、その周辺地域
の歴史が記述されているものがあります。
3:当時の新聞記事を調べてみる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 戦争.戦略.戦術 (391 10版)
- 参考資料
-
-
『この悲しみをくり返さない : 立川空襲の記録』立川市文芸同好会 編・著、立川市文芸同好会、けやき出版、1982
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001601063-00 (1:山中坂の防空壕・富士見町・柴崎町の空襲 2:砂川村の空襲 3:高松町・曙町・羽衣町・錦町および立川飛行場の空襲
『立川空襲の記録 1~4』(立川文芸同好会、1972~1986)に新原稿を加え、加筆修正をおこなった新装改訂版。立川空襲を体験した市民の体験談。) - 『立川の建物疎開の記録』立川市教育委員会、1996 (戦時中の建物疎開について、新聞記事、住民への聞き書きなどで検証。昭和初期の立川駅周辺の建物配置図(覚書)あり。)
- 『多摩の空襲と戦災 50 年前、ここは戦場だった』小沢長治、けやき出版、1995
- 「立川空襲とその記録[小沢長治]」(『多摩のあゆみ第 35 号 多摩の戦災史』たましん地域文化財団、1984)
- 「多摩の空襲[齊藤勉]」(『多摩のあゆみ第 119 号 戦時下の地域社会』たましん地域文化財団、2005)
- 「敗戦直後の立川地区[楢橋茂彌]」(『多摩のあゆみ第 119 号 戦時下の地域社会その 2』たましん地域文化財団、2012)
- 『私の戦争体験記 第 2 版』立川市教育委員会生涯学習推進センター、2017
- 『五十年史 立川病院』立川病院、1997
- 『椋の木立川市立第八小学校開校百周年記念誌』百周年記念事業実行委員会、2001
- 『あしっこ 立川市立第九小学校創立百年記念誌』立川市立第九小学校、1980
- 「立川飛行場と女たち」(『つむぐ』合本 1~5 号、第 6 号~第 8 号、1987~1992)
- 『立川市関係新聞記事集 目録 1935~1955 年版』立川市議会事務局、1989
-
『この悲しみをくり返さない : 立川空襲の記録』立川市文芸同好会 編・著、立川市文芸同好会、けやき出版、1982
- キーワード
-
- 空襲
- 戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000324405