レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20230323
- 登録日時
- 2023/03/24 00:30
- 更新日時
- 2023/06/11 12:29
- 管理番号
- 0400000221
- 質問
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解決
大織冠神社について知りたい。
- 回答
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『わがまち茨木 神社仏閣編』(茨木市/編 茨木市 1989)P48
大織冠神社の名称、所在地、祭神、創立・沿革、建物等、例祭、その他についての記載あり。ただし創立・沿革は不詳とある。
『大阪府神社名鑑』(大阪府神道青年会/編 大阪府神道青年会 1971)P313
祭日など載っているが、由緒などは不詳とある。
『安威郷土史』(郷土史編集委員会/編 郷土史委員会 1998)P350-351
「大織冠神社」の項。「将軍塚古墳を藤原鎌足の墳墓と称して、江戸時代に鳥居を建て、石室内に祠をつくって鎌足を祀ったのがはじまり。」とあり、祭祀や言い伝えについても言及されている。
『藍 安威小学校百周年誌』(創立百周年記念誌編集委員会/編 茨木市立安威小学校 1979)
P16 「将軍塚」の項「墓の側に一祠があって大織冠神社と号され、鎌足およびその子淡海不比等が祀られている。」とある。
『茨木の史跡 平成10年』(茨木市教育委員会/編 茨木市教育委員会 1998)P31
「将軍塚古墳(鎌足古廟)」の項。大織冠神社という表記はない。
『摂陽群談』(蘆田 伊人/編 雄山閣出版 1977)
P12「下島郡」の項に「此所、大織冠鎌足公の古墳あり。その部に分つ。」とある。
P156「将軍塚」の項に、鎌足の棺を奪おうとし、遺骸を分けたという言い伝えが掲載されている。
『茨木市文化財資料集 第1~10集(第8集除く)』(茨木市教育委員会/著 茨木市教育委員会)第3号P12-14 「将軍塚」の項 将軍塚が鎌足の墓所として言い伝えられた経緯やその後の考察が書かれている。
『新修茨木市史 第1巻 通史1』(茨木市史編さん委員会/編 茨木 2012)P478-479
「茨木市内の鎌足に関する伝承」 将軍塚の墓側の祠を大織冠神社と称し、鎌足・不比等を祀っていると『大阪府全志』に書かれているが、伝承であるということが書かれている。
『新修茨木市史 第7巻 史料編 考古』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2014)P368-371
将軍塚古墳の発掘調査報告書。玄室内部の祠の写真もある。
『新修茨木市史 第10巻 別編 民俗』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2005)P84
「鎌足の歴史と伝承」に神社が鎌足の墓であるという伝承等が簡単に掲載されている。
「祭礼」に鎌足が誕生した10月16日に「鎌足さんの祭り」として現在でも祭礼を行っているという記載がある。
『大阪府全志 巻之3 復刻版』(井上 正雄/著 清文堂出版 1985)P910
「将軍塚」の項 「墓側に一祠あり、大織冠神社と号し、鎌足及び子淡海・不比等を祀る。境内には298坪にして、本殿のみを存す。無格社なり。」とある。
『日本名所風俗図会10 大阪の巻』(森 修/編 角川書店 1980)
P179「大織冠鎌足公荒塚」の項
P180の絵図「大織冠古廟」
『阿武山の原子炉設置反対運動の記録・大織冠神社考』(忰山 紀一/著 千島学説研究会文章塾 2008)P95~(ページ数は目次から)
『日本書紀』『摂津名所図会』『藤原氏家伝』『大念寺伝』等の文献を元に大織冠神社や、鎌足と三島安威との関係、鎌足の墓所改葬についての伝説等を考察している。
『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち』(市瀬 雅之/著 梅花学園生涯学習センター 2010)P20-34
「第2章 大織冠神社の藤原鎌足」 『藤原家伝』『日本三代実録』『多武峰縁起』『摂陽群談』等の文献から鎌足の死と葬送と墓所に関して考察している。また、鎌足の最初の埋葬地とされている安威山についても考察している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神道 (170 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 茨木市
- 神道・神社
- 歴史
- 藤原鎌足
- 将軍塚
- 人物
- 古墳
- 遺跡・史跡・文化財
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000330927