レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/9/17
- 登録日時
- 2023/12/26 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-001112
- 質問
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解決
【D.R.マッケンジーについて】 宣教師であるD.R.マッケンジーについて知りたい。
- 回答
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社会福祉法人梅光会の創設者であるD.R.マッケンジーについて調べているとのこと。
質問者の持っていた記念誌の引用元『カナダメソジスト日本伝道概史』は、国立国会デジタルコレクションにて一般公開されていることが分かった。
『加奈陀メソヂスト日本伝道概史』p.186~190に「21 デイ・アール・マツケンヂ―(一八六一-一九三五)」の項目があり、金沢での活動について書かれている。
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1109306(最終閲覧日:2023-09-17)
また、当館所蔵の以下の資料にもそれぞれマッケンジーの記述がみつかった。
『石川県大百科事典』(118310632)p.853「プロテスタント教会と宣教師」の項目に「マッケンジーは同21年(1888)旧制四高の教授として金沢に赴任、後に伝道に専念した。」、p.918「マッケンジー」の項目に「1861~1935 宣教師。明治21年(1888)四高教授として赴任、かたわら伝道を開始した。」と記述あり。
『石川百年史』(119871489)p.137 宣教師ウィン夫妻についての記述の中に「メンジストの方は二十三年、カナダ・メソジスト教会の宣教師サンビーが来県、当時の第四高等中学校講師マッケンジーと協力して広坂通りに講義所を開いたのが始まり。」と記載あり。
p.167に「カナダメソジスト伝道会社が広坂通りの現中署のところにつくったのが金沢英学院。(中略)二十四年には校長が楠正道、教頭は英人マッケンジーとなり、四十三年まで続いたが、その後は広坂通りの民家、里見町、十三間町と転々と変わった。」と記述あり。
『金沢市史 現代篇 下』(119562680)p.174 「金沢育児院 明治三十八年(1905)7月宣教師D・R・マッケンジー(第四高等学校教授)夫妻がカナダ・メソジスト伝道会社の事業として日露戦争の出征軍人遺族、家族の児童教育を目的として市内百々女木町に創設した。」と記述あり。
『金沢の百年 年表 明治編』(109282388)p.159 「明治38年(1905年)4月」の出来事として「D・R・マッケンジー宣教師が百々女木町の一民家を借受け、金沢育成院を創設した。」と記述あり。
「百々女木町」については『金沢市史 資料編18』(119708443)の付録:別刷絵図・地図のうち、「別刷25 金沢市街図 明治38年(一万分の一)」 に「上百々女木町」の記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000343995