レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/05/24
- 登録日時
- 2023/08/06 00:31
- 更新日時
- 2024/03/30 00:43
- 管理番号
- M23052418441522
- 質問
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忍山城跡の写真や地図が掲載されている資料はあるか
- 回答
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①『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊 備中編』
p.362-363
「忍山城跡」の白黒写真2枚が掲載されている。それぞれ「写真131 尾根中央 堀切(南西から)」「写真132 尾根南側 曲輪東斜面切岸(東から)」と説明がある。
地図は「第271図 忍山城跡縄張り図(1/2,000) 作図:畑 和良」が掲載されている。
p.577
別称として「忍の城」「忍城」が挙げられている。
②『吉備郡史 中巻』
p.1658
実測図と、忍山城と鎌倉山城が写った遠景の白黒写真が1枚掲載されている。
p.10
「〔附〕圖版及挿繪目録」には、上記の図版・挿絵について「忍山城阯 實測圖共」とある。
③『岩田村誌』
p.61
忍山の遠景の白黒写真が1枚掲載されている。
④『岡山の城』
p.160
白黒写真が1枚掲載されており、「西から見た忍山城跡」と説明がある。
p.163
地図が1図掲載されている。道路や近隣の神社仏閣等が示されており、探訪する道順が紹介されている。
⑤『岡山の山城を歩く 新版』
p.160-161
簡略化した地図が掲載されており、「交通手段」や「登城口」等が説明されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社 1988.4
p.624
「忍山城跡」は「四畦忍山城・信夫山城の異称がある。」とある。
『日本城郭大系 13 広島・岡山』新人物往来社 1980
p.350
「忍山城」は所在地が「岡山市上高田」、創築年代が「十六世紀前半か」とあり、「伊賀伊賀守が織田信長の下知によって築城したものといわれている」とある。「備前・備中の境にあっただけに宇喜多氏と毛利氏の攻防戦に大きな位置を占めたものとみられる。」とあり、合戦の様子が説明されている。また、遺構としては「郭・堀切」が残っている。
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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①岡山県古代吉備文化財センター『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊 備中編』岡山 岡山県教育委員会,2020,580p 図版2p. 参照はp.362-363,577.
②永山卯三郎『吉備郡史 中巻』 名著出版,1975,14p,1157?2522p. 参照はp.10,1658.
③遠藤逸夫『岩田村誌』足守町(吉備郡) 岩田村誌編纂委員会,1957,15,182,124,25p. 参照はp.61.
④富阪晃『岡山の城』岡山 山陽新聞社,1995,237p. 参照はp.160,163.
⑤森本基嗣『岡山の山城を歩く 新版』岡山 吉備人出版,2004,321p. 参照はp.160-161.
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①岡山県古代吉備文化財センター『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊 備中編』岡山 岡山県教育委員会,2020,580p 図版2p. 参照はp.362-363,577.
- キーワード
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- 忍山城
- 四畦忍山城
- 信夫山城
- 遺跡・遺物-岡山県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2023052418404741522
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000337073