レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2010/03/10 18:19
- 更新日時
- 2021/07/28 11:16
- 管理番号
- 2009-190
- 質問
-
未解決
明治14(1881)年、安部磯雄の日記に「那勒翁」という言葉(人名?)が出ている。
その読み方が知りたい。ナポレオンか?
- 回答
-
残念ながら「那勒翁」の読みの特定は出来ませんでした。
ナポレオンは「拿波崙」、「奈翁」、「那波列翁」と書くようです。
詳細は回答プロセスをご覧ください。
- 回答プロセス
-
1. ネット上
→なし
2. 各種データベース
→なし
3. 『宛字外来語辞典』
→なし
4. 『漢訳漢名西洋人名字典』
→「那勒翁」の記載はなし。ナポレオンは、「拿波崙」、「奈翁」、「那波列翁」となっている。
他に「那」から始まる人名は、「那永福(Nativite)」、「那發累退(ナバレテ, Navarrete)」、「那然(ノーゼンド, Northend)、
「那爾敦(ノルトン, Knowlton)」、「那裨亜(ネーピア, Napier)」、「那斎摩伐(ナジモーヴァ, Nazimova)」などがある。
5. 『漢訳漢名欧米人名及びその著訳書一覧稿』
→「那勒翁」の記載はなし。ナポレオンは、、「拿波崙」、「奈翁」。
「那」から始まる人名は、 「那爾敦(ノルトン, Knowlton)」、「那發累退(ナバレテ, Navarrete)」。
6. 『漢訳漢名西洋人名字典』準備版
→「那勒翁」の記載はなし。ナポレオンは、「拿波崙」。
「那」から始まる人名は、「那永福(Nativite)」、「那法葉(Cofayette)」、「那斎摩伐(Nazimova)」、「那爾敦(Knowlton)」。
7. 『標準漢譯外國人名地名表』
→「那勒翁」の記載はなし。ナポレオンは、「拿波崙」。
「那」から始まる人名は上記のもの以外に多数掲載あり。
「那勒翁」に一番近かったのは「那勒甫, Narew」だが、これは地名と思われる。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 『宛字外来語辞典』(東京 : 柏書房 , 1979.11) (大今図 B2階書庫 813.7||A)
- 『漢訳漢名西洋人名字典』(天理市 : 天理大学出版部 , 1964.6) (大今図 3階北書庫 280.3||K)
- 『漢訳漢名欧米人名及びその著訳書一覧稿』(仙台 : 東北大学附属図書館 , 1966) (大今図 3階北書庫 280.3||Y266)
- 『漢訳漢名西洋人名字典』準備版(天理 : 天理大学図書館学研究室 , 1957.10) (大今図 3階北書庫 280.3||S9422)
- 『標準漢譯外國人名地名表』影印版(東京 : 汲古書院 , 1975.8) (大今図 参考室 280.3||H)
- キーワード
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- 同志社関係
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
(2021/7/27追記)一般個人の方から、以下の情報を提供いただいた。
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質問者がお尋ねの「那勒翁」は「那勃翁」ではないか。
「那勃翁」 ならば明治期にナポレオンの表記としてよく使われていた。
フリガナが振られており、かつオンラインで参照できるものとしては以下の資料がある。
「ナ」「ポレ」「ヲン」に「那」「勃」「 翁」と字をあてていたこともわかる。
1. 尾崎紅葉「隣の女」『紅葉全集 第4巻』(博文館, 1904年)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886308/8[参照 2021-07-27]
(p.4の右から4行目)
2. 『大日本時代史 維新史』(早稲田大学出版部, 1907年)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770065/269[参照 2021-07-27]
(p.517の左から6行目)
3. 菅谷秋水『北条時宗』(如山堂, 1909年)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781970/13[参照 2021-07-27]
(p.6の右から9行目)
4. 末広鉄腸『花間鶯』(金港堂, 1888年)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/885846/108[参照 2021-07-27]
(中編(合冊)p.12の右から6行目)
5. 『昭代史要』(官令新誌附録)
https://hdl.handle.net/2027/mdp.39015080668190?urlappend=%3Bseq=1078[参照 2021-07-27]
(二編巻十一の1880年10月23日の条の左から5行目)
安部磯雄の日記における記述が質問の通り「那勒翁」であったならば、 安部磯雄の誤記ないし誤植の可能性もある。
あるいは外国人名に対する当字が濫立した時期でもあるため、別の表記として「那勒翁」が存在した可能性も考えられる。
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あらためて当館で安部磯雄の日記について確認したところ、現在は以下の資料があることがわかった。
・安部磯雄日記翻刻委員会『安部磯雄日記:青春編』(『新島研究』第100号別冊, 2009年2月, 同志社社史資料センター)
早稲田大学大学史資料センター(安部磯雄文庫)所蔵の日記のうち、1881年~1895年が翻刻されている。
p.12の明治14(1881)年4月24日に「那勒翁」と記述があり「ナポレオン」とルビがふられている。
・早稲田大学文化資源データベース
https://archive.waseda.jp/archive/index.html [参照 2021-07-27]
>保守と革新の近現代史データベース>安部磯雄文庫>〔安部磯雄日記(同志社時代)〕
『新島研究』で翻刻された資料の原本(早稲田大学大学史資料センター所蔵)の画像が公開されている。
コマ16に明治14年4月24日の該当部分(左から5行目)があり、「那勒翁」と読めるようだが、手書きのため断定できなかった。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 教員
- 登録番号
- 1000064539