レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年05月05日
- 登録日時
- 2023/01/25 09:41
- 更新日時
- 2023/04/21 10:17
- 管理番号
- 埼熊-2022-081
- 質問
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未解決
深谷の小字「待町(とのまち)」が今のどこにあたるのかを知りたい。
- 回答
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「待町」について記述のある資料は確認できなかった。
「侍町」と書いて「とのまち」「さむらいまち」と読む深谷市の小字についての記述のある資料があった。
- 回答プロセス
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1 参考図書を〈地名〉で検索する。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1988)
p1385-1417「小字一覧」あり。(注)『武蔵国郡村誌』に書きあげられた小字を一覧化したもの。
p1403-1406「大里郡」「榛沢郡」の一覧あり。待町なし。
p1404 榛沢郡の深谷駅に「侍町」あり。
2 NDC分類〈290.1〉の棚にあたる。
『武蔵国郡村誌 第9巻』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1954)
p210-213「榛沢郡 深谷駅」
p210「字地」に「侍町(さむらいまち)」あり。「待町」なし。
3 自館目録を〈深谷〉〈大里郡〉で検索する。
『深谷市史 下巻』(深谷市史編纂会編 国書刊行会 1984)
p788「明治二十二年町村制施行と共に町役場と改称し、その後大正九年(中略)大字深谷字侍町345番地ノ4に新築」とあり。「待町」なし。
『埼玉県大里郡郷土誌』(下田江東著 埼玉民報社 1919)
p343-344「深谷城跡」
「尚其地内に本丸、管領(中略)侍町、東土手、北土手等の小字の称へあり」とあり。
『深谷史跡案内』(深谷上杉顕彰会 1998)
p26 滝宮神社の解説文に「侍町にあった天神社も合祀されています」とあり。
4 深谷市の『埼玉県火災保険特殊地図』を確認する。
『埼玉県火災保険特殊地図(戦前) 深谷町 no.3』(都市整図社 2009)
侍町あり。最新の『ゼンリンの住宅地図』と比較すると、深谷市役所本庁舎周辺と分かる。
『埼玉県火災保険特殊地図(戦前) 深谷町 no.4』(都市整図社 2009)
侍町あり。
5 自館目録を〈深谷城跡〉で検索する。
『深谷城跡 第13次』(深谷市教育委員会 2009)
p3「深谷城跡及び周辺の遺跡分布図」
「深谷城跡及び周辺の遺跡一覧表」あり。侍町あり。町名ではなく遺跡名として表示されている。
『侍町遺跡』(深谷市教育委員会 2004)
巻末「報告書抄録」
「とのまちいせき」あり。所在地は深谷市仲町322-1とあり。
p1「1 発掘調査に至る経過」
「侍町遺跡はJR深谷駅より北へ約660m(中略)現在の深谷市役所敷地内にあり」とあり。
p1「2 発掘調査の経過」
「調査地点の旧小字は侍町である」とあり。
〈その他調査済み資料〉
『埼玉県の地名』(平凡社 1993)
『深谷の地名』(柴崎伊勢三著[ほか]著 深谷郷土文化保存会 1995)
『埼玉県市町村誌 第13巻』(埼玉県地域総合調査会編 埼玉県教育委員会 1978)
『新編武蔵風土記稿 第4期 第11巻』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
『深谷町案内』(高田晴司著 深谷案内編纂会 1923)
『深谷町誌』(山口平八編輯 臨川書店 1987)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2022年5月5日。
- 事前調査事項
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法務局の明治34年の土地台帳に記載されていた。深谷市の資産税課に問いあわせたところ、「待町」はあったが、現在の場所はわからないとのことだった。
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 埼玉県-深谷市-地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000327853