(1)「石井梅香」について、『岡山県歴史人物事典』(1994年,山陽新聞社)や『岡山県人名鑑 関東・関西篇』(1957年,夕刊岡山新聞社)、『岡山県人物・人材情報リスト 2013』(全2巻,2012年,日外アソシエーツ)『人物レファレンス事典 日本編 古代?平成』(CD-ROM版,2004年,日外アソシエーツ)にて調べるが、記載がない。
(2)『全国都道府県の歌・市の歌』(資料①)にて、「岡山県の歌」について調べると、「昭和32年の新県庁舎完成を記念して制定された。歌詞は公募、作曲は当時岡山大学教授の水野康孝に依頼した。」、「昭和32(1957)年5月制定」とある。「作詞:石井梅香」と記載されているが、略歴の記載はない。
(3)上記(2)をもとに、『岡山県政史 昭和戦後編』(資料②)の巻末の年表により、昭和32年における「岡山県の歌」および新県庁舎完成についての関連事項を確認すると、3月19日に県庁舎の新築完成式が行われ、「岡山産業文化代博覧会」が新庁舎を主会場にして行われたことが記載されている。また、5月3日に、新県庁舎完成を記念して募集した「岡山県の歌」の発表会を開いたという記載がある。さらに、7月5日には新県庁舎開庁式が行われたことが記載されている。しかし、石井梅香の略歴等の記載はない。
(4)上記(3)をもとに、『岡山産業文化大博覧会誌』(資料③)を確認すると、「岡山県の歌」の譜面、歌詞のほかに、当時岡山県知事であった三木行治氏が「岡山県の歌発表会」(昭和32年5月3日)で話した挨拶文が掲載されている。しかし、石井梅香の略歴等の記載はない。
(5)上記(3)により、発表会の翌日(昭和32年5月4日)の山陽新聞朝刊(資料④)を確認したところ、“岡山博会場で「岡山県の歌」発表会”と題した記事が見つかる。それによると、石井梅香が1等を受賞し、住所が「玉野市田井」(→番地の記載なし)であることが記載されている。
(6)昭和32年5月4日からさかのぼって『山陽新聞』を確認すると、同年4月19日朝刊(資料⑤)に、”県民の歌 当選作決る”と題して、県が募集していた「県民の歌」の当選作が同年4月18日に決まったことが記載される記事が見つかる。その中に、石井梅香について「玉野市田井、無職、石井梅香さん(39)」、「一等入選に決まった石井さんは東京女高師教員養成所卒業。昭和13年から15年まで大連で勤めていた。」と記載があり、顔写真も掲載されている。
そのほか、記事には、「岡山県民の歌」と題して歌詞や譜面の記載がある。なお、「岡山県民の歌」の歌詞は「岡山県の歌」と同じ内容である。
また、応募作品は255編で、1等から3等までの受賞者の氏名と、番地を記載しない住所が記載されている。
(7)昭和32年4月18日夕刊(資料⑥)にも、上記(6)と同様の記事が記載されている。
(8)そのほか、『岡山県史』、『玉野市史』、『岡山県公報』(昭和32年1月~6月)、『岡山県職員録 昭和32年度』、『岡山県学事関係職員録 昭和32年度』にて調べるが、石井梅香についての記載はない。