レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/08/22
- 登録日時
- 2014/06/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:36
- 管理番号
- M13121218366228
- 質問
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杉鮫太郎について知りたい。
- 回答
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・当館の所蔵する人物事典等に杉鮫太郎の項目はなかったが、岡山県立図書館 電子図書館システム「デジタル岡山大百科」の「郷土情報ネットワーク」で検索したところ、雑誌『おかやま同郷』に関連記事があることがわかった。
・「追悼 杉鮫太郎先生(その1)」(資料①)の「杉先生を偲ぶ 青山幸子」には、「本名は湯浅敏夫」とある。さらに、「略歴」には、「明治四十一年・美作落合町の杉家で、厳格な警察官の父湯浅立太郎、母いなよの長男(本名・敏夫)として生まれる。父の度々の転勤で岡山市弘西小学校から二中、津山中、父が成羽の署長の時は高梁中へ。」、「昭和三年・岡山県警察部通信の職につく。短歌に興味、アララギの斎藤茂吉先生の短歌を書写。この年、岡大で斎藤茂吉、中村憲吉両先生の講演を聴講、アララギへ入会。」、「昭和四十二年・三十八年間の警察庁技官の職を引退。その後は後楽園古陶館に勤務。」、「昭和五十五年・勲五等双光旭日章受賞。金重陶陽賞受章。」、「平成六年十月十九年・八十七歳で死去」とある。
また、「略歴」から主な著作を抜粋すると、斉藤茂吉との共著の『平賀元義歌集』(1938)、『平賀元義の歌』(1944)、歌集『哉生明』(1949)、宗定克則との共著の『岡山後楽園』(1966)、『岡山の鳥』(1969)、藤原幾多との共著の『岡山の短歌』(1971)のほか、歌集『飛鳥出林』、歌集『路上黄昏』などがある。
・「追悼 杉鮫太郎先生(その2)」(資料②)には、資料①同様、追悼文が掲載されているほか、杉鮫太郎が作った歌がいくつか掲載されている。
・竹原省三「杉 鮫太郎先生」(資料③)には、戦後の「アララギ」での杉鮫太郎について、「戦後の「アララギ」が土屋文明一辺倒へと変貌する中で、茂吉系統は影を薄めてゆき、先生も「アララギ」から姿を消して「関西アララギ」の客員のような形で、その巻頭に作品を飾り、晩年近くまで続いた。」とある。
・また,藤本 實「現代岡山歌壇史 その22 『アララギ岡山』と『美作アララギ』」(資料④)には、「アララギ岡山」の創刊や、その主宰者が杉鮫太郎であったことが記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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①「追悼 杉鮫太郎先生 その1」『おかやま同郷』Vol.29,No.2,1995.1,p.10-13.
②「追悼 杉鮫太郎先生 その2」『おかやま同郷』Vol29,No3,1995.2,p.10-13.
③竹原省三「杉 鮫太郎先生」『樹林 第4号』No.4,2012.7,p.30-32.
④藤本 實「現代岡山歌壇史 その22 『アララギ岡山』と『美作アララギ』」『岡山春秋』No.29,1954.7,p.40-42.
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①「追悼 杉鮫太郎先生 その1」『おかやま同郷』Vol.29,No.2,1995.1,p.10-13.
- キーワード
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- 杉鮫太郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2013121218363166228
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000154791