レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月14日
- 登録日時
- 2012/08/23 14:15
- 更新日時
- 2018/08/31 17:40
- 管理番号
- 県立K2011-309
- 質問
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解決
長宗我部盛親が京都で寺小屋をしてたのはいつ頃か。どんな授業内容だったのか。
- 回答
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※ 高知県立図書館・高知市民図書館合築に伴い、資料に関する情報が現在の情報とは異なる場合があります。 ※
『高知県人名辞典』(高知新聞社、1999年)に「京都上立売の柳ケ厨子に蟄居して大岩祐夢と号し、寺子屋の師匠などをしていたという」とあり。『長宗我部盛親 土佐武士の名誉と意地』 (高知県立歴史民俗資料館編・発行、2006年)60頁にも同様の記載あり。『長宗我部氏の盛衰』(入交好脩編、日本経済史研究所、1966年)41頁にも、関ケ原の合戦の後、上立売の柳ケ厨子に蟄居し、以後14年間寺子屋の師匠として屏居したとあり。授業内容については記載無し。
下記資料の1600年頃の記事を見る限りでは、京都に蟄居とあるが、寺子屋の記載は見当たらず。
・「長宗我部盛親公代」(『南路志』所収)の「盛親京都に蟄居」の項を見るが、寺子屋の記載は見当たらず。
・『土佐国編年紀事略』下(中山厳水著、前田和男校訂、復刻、臨川書店、1974年)21頁に柳ケ厨子に蟄居とあるが、寺子屋の記載は見当たらず。
・「土佐軍記」(『土佐國群書類従』所収)165頁に「法躰して祐多斎と号、京に己屋をかけ」とあるが、寺子屋の記載は見当たらず。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 長宗我部盛親
- 寺子屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000110370