以下の資料に関連の記述を確認しました。
・『足利織物史 上』(早稲田大学経済史学会/編 足利繊維同業会 1960)
p.382-383 「第一編 近世の足利織物 第四章 足利織物の流通形態 第三節 原料の市場 (三)藍」の項に文政七年頃(1824年)から天保・弘化の頃(1830-1984年)の藍葉の供給地、産地の詳細記述があります。
p.580-595 「第二章 明治前期の足利織物の一般状況 第二節 新技術の導入と機業の興隆 (二)新技術の導入(2)染色」の項に、染色技工の沿革や染色業者について、また、染料の材料名についての記述があります。
・『足利織物史 下』(早稲田大学経済史学会/編 足利繊維同業会 1960)
p.433-484 「第三章 大正・昭和前期における足利織物業 第一節 足利織物業における技術の進展 (二) 足利地方」の項に、当時の染色技術・機械の発展についての記述があります。
・『足利の歴史 第8版』(足利教育会「足利の歴史」作成委員会/編, 足利教育会 1988)
p.82-84 「第四章 近世の足利 四 織物の町 (三)織物をめぐる結びつき」、p.110-111 「第五章 近代・現代の足利 (三)「足利銘仙」と足利市の発展」の項に、江戸時代後半から昭和初期における、足利市や周辺地域での製織、染色の状況についての記述があります。
・『足利の歴史 改訂新版 (前澤輝政/著 随想舎 2009)
p.292 「第十四章 足利の織物史 足利織物の成立要因」の項に藍菜(植物性染料)は太田、彦間、田沼、中瀬などから得たと記述があります。
・『栃木県史 史料編 近現代6』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1977)
以下のページ・項目に関連する記述があります。
p.545-546 「八 その他の鉱工業 足利織物業 足利織物業 一 明治・大正期足利織物概況 足利織物沿革概略記」
p.581- 582「八 その他の鉱工業 足利織物業 足利織物業 一 明治・大正期足利織物概況 大正九年足利織物 染色工業」
p.582-583 「八 その他の鉱工業 足利織物業 足利織物業 一 明治・大正期足利織物概況 大正九年足利織物 勃興せる染色工業」
p.659- 663「八 その他の鉱工業 足利織物業 足利織物業 六 明治三十年頃の足利織物諸相 栃木県工業学校」
・『栃木県史 通史編8』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1984)
p.273 「第二編 足利織物 第一章 明治・大正期の足利織物 一 明治期 足利織物市場の取引状況」の項に、国産染料に代わって化学染料を使用した結果、織物に悪臭を伴い、また、褪色するなどの事態が発生し、明治十年(1877年)ころ足利織物の信用は低下、生産量も減少したと記述があります。
・『足利市史 下巻』(足利市/編,発行1929)
p.695-696 「第四編 第七章 教育 第八節 足利県立足利工業学校」の項に、足利県立足利工業学校の前身は「足利織染講習所」であること、設立の理由として染色改良の急務、等の記述があります。
p.1139- 1140 「第七編 産業 第五章 明治以後の商業 第二節 組合 二 織物同業組合」の項に、明治十八年に織物の祖製濫造及び染色の不良を防止する目的として織物同業組合が創立されたと記述があります。
・『近代足利市史 第5巻 史料編 近現代2』(足利市史編さん委員会/編 足利市 1979)
p.109-110 「第一編 産業・経済 第一章 繊維産業とその推移 11染色改良の事(明治十八年)」の項に、足利織染講習所が足利工商会でつくられ、現足利工業高校の前身との記述があります。
p.272 「第一編 産業・経済 第一章 繊維産業とその推移 45 銘仙全盛期の足利織物広報 人気の的足利千代田、明日の新製品は」の項に、新興商品の足利千代田は最新科学を以って染色加工していたとの記述があります。
・『染ひとすじに 渡辺弥五郎と足利染色史』(足利染色史編集委員会/編 足利染色協同組合 1971)
足利整染協同組合の理事長を務めた、渡辺弥五郎氏の黄綬褒章受章を記念して刊行されたものです。渡辺氏の功績とともに、戦前・戦後の足利における染色業の歴史を振り返ることができる資料です。