以下の資料に関連の記述を確認しました。
1.当館所蔵資料
・『今市史談 復刊第16号』(今市史談会/編、発行 2007)
所収されている「落ち穂拾いの今市市史④~⑧」(今市 佐藤権司)に、「④今市の製氷」の項があります。(p.105-106)
明治には製氷が今市の特産物のひとつであったとし、明治20年に掲載された下野新聞の記事が引用されています。
なお、記事の引用元として、以下の資料が挙げられています。
・『今市関係新聞記事資料 明治・大正編』(今市市歴史民俗資料館/編、発行 2003)
下野新聞の記事の中から明治・大正期の今市市域に関連するものを抜粋し、まとめたものです。
・『天然氷の歴史と今 究極のエコロジ-産業をおって』(菊池建太/著、発行 2006)
「今も残る天然氷採取業 ―日光市及び今市市の天然氷―」の項があり、その歴史について簡易な記述があります。(p.34-38)
この資料では天然氷の歴史や、現在はなくなってしまった他県の天然氷産業などについてもまとめられています。
・『食物誌』(石毛直道〔ほか〕/著 中央公論社 1984)
「氷」の項に、中川嘉兵衛という人物が文久元年ごろから日本各地で自然製氷を試みた場所のひとつとして、日光が挙げられています。(p.55-57)
ただし、具体的な年月日、場所、製氷の様子等は記述を確認できませんでした。
・『冷たいおいしさの誕生 日本冷蔵庫100年』(村瀬敬子/著 論創社 2005)
「第一章 冷たいおいしさの誕生―夏の氷と文明開化 3 製氷に賭けた男―中川嘉兵衛」の項があります。(p.11-20)
「…(前略)…元治元(一八六四)年には日光から、…(後略)…」と年代は記述されていましたが、やはりその他の詳しい記述は確認できませんでした。
同じ項に日本の氷室の歴史に関する記述は確認できましたので、併せてご確認ください。
なお、中川嘉兵衛の製氷事業については、上記とは異なる説を以下の資料に確認しました。
・『幕末・明治の横浜 西洋文化事始め』(斎藤多喜夫/著 明石書店 2017)
「第五章 食文化の国際化 三、氷とアイスクリーム 中川嘉兵衛の天然氷採取」の項に、中川嘉兵衛自身が内容の食い違う二つの記録を残したと記述されています。(p.130-131)
明治4年ごろの手記をもとにしたA説と、「製氷沿革略記」をもとにしたB説があり、表にまとめて対比されています。
B説にのみ「下野国日光山」という記述が確認できるようです。
なお、県内の天然氷の採取状況については、以下の資料に表の掲載を確認しました。
・『衛生統計書 昭和12年』(栃木県警察部衛生課/編、発行 1938)
この資料は、国立国会図書館デジタルコレクションでも公開されています。
(参考)『衛生統計書 昭和12年』(栃木県警察部衛生課/編、発行 1938)
「天然氷採取状况」(p.22 19コマ)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096927?tocOpened=1(最終確認日:2021年7月10日)
2.国立国会図書館デジタルコレクション収録の資料
当館未所蔵ですが、国立国会図書館デジタルコレクションにて公開されている資料にも、表などから日光の記述を確認できました。簡易な内容も含みますが、タイトルと掲載コマ数は以下のとおりです。
(以下すべて図書館送信参加館内公開です。)
・『製氷の事業と技術』(亘理信一/著 水産文庫 1950)
「第一編 氷の史的考察 三、本邦に於ける天然氷事業」(17-24コマ)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1162148(最終確認日:2021年7月10日)
・『氷』(泉寅夫/著、発行 1929)
※天然氷についてまとめられた資料です。日光については「全國天然氷採取業統計」(51-52コマ)に掲載を確認しました。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188793(最終確認日:2021年7月10日)
・『水』(納富重雄/著 三省堂 1927)
「四 雨水固化せば (四)天然氷と人造氷 (乙)氷室と風穴」(80-81コマ)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1225937(最終確認日:2021年7月10日)
・「明治大正史談 第六輯」(明治大正史談会 1937)
「製氷界の恩人中川嘉兵衛のこと」(山根兀)(14-16コマ)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1495423(最終確認日:2021年7月10日)
3.新聞記事
当館契約のデータベース「下野新聞データベース plus 日経テレコン」にて、検索を行ったところ、多数の記事が見つかりました。
検索ワード:「日光」+「天然氷」+「氷室」 (検索結果:65件)
ご参考までに最も古い記事を1件ご紹介します。
・日本経済新聞1995年8月13日 22面「風雅なこだわり、かき氷――舌触り微妙、日本の「涼」(知る食ロード)」
記事内で「日光の天然氷は、江戸の将軍家に献上されていた歴史がある」と記述されていますが、出典が明記されておらず、当館の所蔵資料からも同様の記述は確認できませんでした。
4.その他
以下の資料はお調べしましたが、関連の記述を確認できませんでした。
・『栃木県大百科事典』(栃木県大百科事典刊行会/編、発行 1980)
・『下野国誌 校訂増補』(河野守弘/著,佐藤行哉/校訂 下野新聞社 1989)
・『栃木縣史 第9巻(産業編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
・『日光市史 下巻 近現代・民俗』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
・『板荷村郷土誌 抜粋』
・『栃木県産業要覧』(栃木県主催第13回関東地区実業大会/編、発行 1909)
・『栃木県産業要覧 大正6年』(栃木県/編 1917)
・『栃木県の職人 栃木県諸職関係民俗文化財調査報告書』(栃木県教育委員会/編、発行 1989)
関連事例:
明治・大正期に、佐野市や葛生町(くずうまち、現・佐野市)などで採取されていた「天然氷」について 、またその貯蔵施設である「氷室」について書かれている資料はあるか。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000139501