レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年02月18日
- 登録日時
- 2024/03/08 00:30
- 更新日時
- 2024/03/14 00:30
- 管理番号
- 6523009902
- 質問
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解決
「強頸断間」について知りたい
- 回答
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「強頸断間(こわくびのたえま)」とは「日本書紀」の伝説によるもので、武蔵の人、強頸が人柱にされた淀川、茨田(まんだ)堤の決壊地(断間)のことです。
以下の資料に強頸断間に関する記述がありました。
強頸断間の伝説については、
(1)『日本古典文学全集3 日本書紀2』(小学館 1996.10)
p.37の解説部分に「茨田堤を築くのに、二か所の切れ目を防ぐ難工事があった。川の神の人身御供として二人の男が選ばれる。強頸は川に沈み、切れ目は塞がる。衫子は川の神と誓約をして勝ち、堤が完成する。世に「強頸断間・衫子断間」という」との記載があります。
強頸断間の場所については、
(2) 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 2001.7)
「旭区」のp.613「強頸断間」の項に「「日本書紀」仁徳天皇一一年一〇月条に、武蔵の人強頸が人柱にされたとある淀川茨田堤の決壊地(断間)。同書によれば茨田堤には二ヵ所の決壊個所があり、一を強頸断間、一を衫子断間といったという。強頸断間跡は千林村字一の絶間(いちのたいま)、衫子断間跡は茨田郡太間(たいま)村(現寝屋川市)に比定されているが確証はない」との記載があります。
(3)『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
p.507「強頸断間(こわくびのたえま)」の項に「その所在は、現在の寝屋川市とする説もあるが(寝屋川市誌)、江戸期の「五畿内志」によれば、(中略)現在の旭区の千林町に比定される」との記載があります。
(4)『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂 1986.7)
p.200-201「強頸絶間跡碑(こわくびのたえまのあとひ)」の項に、場所についての諸説や、旭区千林にある「強頸絶間跡碑」についての記載があります。
「強頸絶間跡碑」は、大阪市ホームページや大阪市旭区のホームページでも紹介されています。
(5)大阪市ホームページ:歴史の散歩道:中之島・鶴見コース
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010040.html(2024.2.29確認)
(6)大阪市旭区ホームページ:旭区の魅力・みどころ
https://www.city.osaka.lg.jp/asahi/page/0000000572.html#a_21(2024.2.29確認)
- 回答プロセス
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1.商用データベース「Japanknowledge」をキーワード“強頸”×"断間"で検索(資料(1)(2))
2.大阪の辞典類を確認(資料(3)(4))
3.googleでキーワード“強頸断間”で検索(資料(5)(6))
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0000214926> 大阪史蹟辞典 三善 貞司/編 清文堂 1986.7 9784792423414 資料(4)
- 当館書誌ID <0000184865> 角川日本地名大辞典 27 大阪府 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10 9784040012704 資料(3)
- 当館書誌ID <0000156512> 日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1 平凡社 1986.2 9784582490282 資料(2)
- 当館書誌ID <0000571945> 新編日本古典文学全集 3 日本書紀 2 小学館 1996.10 9784096580035 資料(1)
- 大阪市旭区ホームページ:旭区の魅力・みどころ(2024.2.29確認) https://www.city.osaka.lg.jp/asahi/page/0000000572.html#a_21 資料(6)
- 大阪市ホームページ:歴史の散歩道:中之島・鶴見区コース(2024.2.29確認) https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010040.html 資料(5)
- キーワード
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- 大阪府大阪市旭区
- 強頸断間
- 強頸絶間跡
- 茨田堤
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000347175