レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年03月04日
- 登録日時
- 2007/11/20 02:10
- 更新日時
- 2024/03/14 00:30
- 管理番号
- 10-3A-200603-20
- 質問
-
解決
昭和山の由来について知りたい。
- 回答
-
以下の資料に「昭和山の由来」について記述が見つかりました。
(1)『大正区史』(大阪都市協会/編集 大正区制施行五十周年記念事業委員会 1983)
p.144-145に、「昭和山」という人工の山を造ることになった「千島計画」についての記述があり、「昭和43年9月から始まった大正運河の埋め立てに関連して、同44年9月、大阪市が発表した構想で、大正区のほぼ中央、もと大正運河や貯木池、木場のあった千島町一帯に「港の見える丘」(標高35メートル)を造り、その周囲に、高層住宅はじめ区総合庁舎や体育館、グラウンドを設けるという計画で、広さは17.7ヘクタールに及ぶ。(中略)この山造りのため、当時、万国博関連工事で建設が急がれていた地下鉄工事の残土など約170万立方メートル(ダンプカー57万台分)の土砂が盛り上げられた。」「昭和45年11月、山の中腹で植樹祭が行われ、この丘は、天保年間(1830-44)安治川の川ざらえの土砂で造られた「天保山」にならい「昭和山」と命名され、本格的な造園工事が進められた。」とあります。
(2)『新修大阪市史 第1巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988)
p.24に「戦災復興事業(中略)の仕上げとして、千島町付近の製材工場や貯木場の移転跡地など約17.7ヘクタールの地域に、地下鉄建設に伴う残土を盛り上げて、標高35メートルの丘を中心になだらかに連続した4つの丘を造成し、その周辺に区役所などの総合庁舎をはじめ、区民広場・運動場などを配置するとともに高層住宅群を建設したのである。山の名は、この「港の見える丘」の造成工事がほぼ完了した昭和45年11月30日に記念植樹式が行われた際、当時の中馬馨市長によって命名されたものである。」とあります。
(3)『大阪春秋 第56号 特集 おおさか歴史の散歩道 続篇』(大阪春秋社 1989)
p.82-90三浦行雄「渡船場の歴史散歩」のp.88-89に「千島町付近の木材関係者の移転跡地に千島公園が造成され、地下鉄工事による掘削土砂をもって、昭和45年、高さ35メートルの昭和山ができた。山頂に昭和山の碑があるが、それに「天保二年、安治川の川ざらいの土を盛って天保山を築き出船入船の目標と市民遊覧の地とした。百三十九年後の今日、都市再開発の一環として、地下鉄を掘った土を盛って、ここに港の見える丘を築き、天保山の故事に因み、昭和山と命名した」と、刻まれている。」とあります。
- 回答プロセス
-
1. 『大正区史』(資料(1))にて、昭和山についての記述を探す。
2. 『新修大阪市史 第10巻』の索引にて、昭和山を探し、資料(2)が見つかる。
3. 「大阪春秋総目次・索引集」(https://osaka-web-museum.na.coocan.jp/index-top-shunjyu.htm)にて、キーワード“昭和山”で検索、資料(3)が見つかる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
- 当館書誌ID <0070059807> 大正区史 大阪都市協会/編集 大正区制施行五十周年記念事業委員会 1983 資料(1)
- 当館書誌ID <0000342129> 新修大阪市史 第1巻 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988 資料(2)
- 当館書誌ID <0000452770> 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 第56号 特集 おおさか歴史の散歩道 続篇 大阪春秋社 1989 資料(3)
- キーワード
-
- 大阪府大阪市大正区
- 昭和山
- 千島計画
- 中馬馨
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000039566