レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月07日
- 登録日時
- 2022/09/13 10:42
- 更新日時
- 2022/09/28 09:14
- 管理番号
- 中央-1-0021567
- 質問
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解決
近世のさいたま市域における馬頭観音の分布について知りたい。
- 回答
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下記資料を紹介した。
(1)『大宮市史 5 民俗・文化財編』大宮市役所 1969年
p167~175「馬頭観音講」
馬頭観音の成り立ちについての解説や市内の地区別造基数(計210基)、市内の馬頭観音
の一覧(紀年号干支月日、像及び銘、所在地)あり。
(2)『大宮の郷土史 第31号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2012年
p23~28「丸ケ崎観音堂石塔群 馬頭観音梵字真言」(諸橋一久)
馬頭観音供養塔について、写真(白黒)入りで解説がされている。「推測を交えて述べる」とも書かれているため、情報の正確さは定かではない。
(3)『与野市史 民俗編』与野市企画部市史編さん室/編 与野市 1980年
p211「馬頭観音・薬師・カナヤマサマ」
下記の記述あり。
「(略)八王子の墓地の一角には昭和三五年頃まで馬頭観音が3基あったが、これは昔この付近で熊ん蜂に刺し殺された馬を供養するため建てられたものだという。」
(4)『与野市史 文化財編』与野市企画部市史編さん室/編 与野市 1983年
p271~579「(二)近世の石造遺物」
旧与野市内の石造遺物が地区別に紹介されており、編年別一覧表には「紀年銘、西暦、形式・本尊等、所在地、寸法(cm)、備考、所在地番号」が記載されている。馬頭観音は、以下のとおり(白黒写真あり)。
「光背型供養塔 馬頭観音立像(文字)」(p380、p384)、「光背型供養塔 馬頭観音立像」(p381、p384)、「角柱型供養塔 馬頭観世音(文字)」(p397、p404)、「光背型石仏 馬頭観音立像」(p492、p493)
(5)『浦和市史 民俗編』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1980年
p559「観音 馬を使う職業の人たちは観音様を祭った」
山崎の宝蔵院の「馬観音」、大門の大興寺の馬を飼う人が祭る観音様、下大久保の大泉院の馬頭観音などについての記述があり。
(6)『石の文化財 浦和の石造物』浦和市教育委員会文化財保護課/編集 浦和市教育委員会 1996年
カラーまたは白黒写真入りで石造物を紹介。所在地、年代表記、大きさ、主要銘文、特記すべき事項が併記されている。巻末には、「石造物所在地一覧」の地図あり。馬頭観音は以下のページに記載あり。
p.37 天保11年馬頭観音像
元禄2年馬頭観音像
p.38 安永9年馬頭観音像
p.61 宝暦5年馬頭観音像(右)
p.66 寛保元年馬頭観音像
p.67 寛文8年馬頭観音像
(7)『さいたま市緑区の庚申塔・馬頭観音 江戸時代の石造神仏を訪ねて』石戸 誠/著 2014年
p29~31「馬頭観音」の項目あり。
p80~87 馬頭観音(三室697番地付近、南部領辻西原3181番地付近、高畑870番地付近、三室1145番地付近)の概要、銘文、写真(カラー)、解説あり。
(8)『聞き書き大久保ものがたり』大熊 松男/編 さきたま出版会 2000年
p136~147「大泉院」
p146~147 聞き書きの中で、馬頭観音の印象や当時の様子について触れている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏会 (186 10版)
- 仏像 (718 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 馬頭観音
- さいたま市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321173