レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20190606
- 登録日時
- 2023/06/01 00:30
- 更新日時
- 2023/06/01 00:30
- 管理番号
- 徳郷20190603
- 質問
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解決
『阿波名所図会 下』の、「眉山」に記されている「元三大師」は、現在どこにあるか。
「…此山北に大滝山春日の社南に勢見山の観音金毘羅の社中央に瑞巌寺八幡宮元三大師等乃霊仏■(れい)社連綿として多し」
- 回答
-
以下資料より、廃寺となった「松巖寺」にあったと思われる。松巖寺跡は、徳島市伊賀町3丁目だが、元三大師画像が現存するかどうかは不明。
【A】『阿波志 巻一・二』
p112「阿波志 巻之二」の「城府」の「仏刹」に、「松巖寺」があり、説明に、以下のように記されている。
「在富田山麓隷山城延暦寺…有堂納元三大師画像…」
【B】『阿波誌』
【A】の和訳。
p56「松巖寺」
【C】『徳島市史 第4巻』
p1120「徳島市近世創建寺院一覧表」の「廃寺」にあり。
「霊応山松巌寺 伊賀町三 天台宗」
【D】徳島城博物館ホームページから「城下町とくしま歴史さんぽ」で、地図を見ると、「松巌寺跡」の印と説明が書かれている。所在地は「徳島市伊賀町3丁目」。「元三大師」についての記述は、なし。「御山下絵図(江戸時代後期)」では、「慈音院」と書かれている。
下記資料【E】から【G】が参考資料として挙げられている。
https://m.stroly.com/tokushima/i#joukamachiburari (最終確認2023/05/09)
【E】『日本歴史地名大系 第37巻 徳島県の地名』
p422「松巌寺跡 現 徳島市伊賀町三丁目」
「…なお当寺には元三大師画像を納める堂宇があった(阿波志)。…明治六年(一八七三)廃寺となった。」
【F】『徳島近代史 明治から大正へ 2 』
p101-102「徳島での浦上信徒」の中に、記述あり。「正巌寺」となっている。元三大師についての記述なし。
「女、子供は富田の正巌寺(維新後廃寺、現・伊賀町、逓信病院付近)に入れられた。」
【G】『四国におけるキリシタン禁制政策の展開 徳島藩を中心として』
p184「徳島へ流配された彼らは、まず正巌寺(松巌寺)に収容され」
p191「(26)徳島市山路にあったこの寺は幕府関係祭礼を受けもっていた天台宗寺院である。正巌寺は松巌寺の誤りでないか。」
【H】徳島県立博物館ホームページ>デジタルアーカイブ>絵図・地図
https://adeac.jp/tokushima-bunkanomori/top/topg/top_museum.html(最終確認2023/05/09)
● 「徳島御城下切絵図(9)西富田」
「松巌寺」と書かれているすぐ上に、「元三大師」と記さたお堂の絵がある。
●「徳島御城下絵図」(明治初年)
「松巌寺」と書かれているすぐ上に、「元三大師」と文字が書かれている。
- 回答プロセス
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1.質問者が【A】を発見。
2.原本の【B】で確認。
3.【C】で、廃寺であることを確認。
4.【D】で、江戸時代と現在の地図から位置確認。参考資料に【E】から【G】あり。
5.【E】から【G】確認。
6.利用者が【H】で、「元三大師」と記されているのを確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏教 (180 8版)
- 参考資料
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- 【A】阿波志 巻一・二 (T209Lフシ4-1・2112藤原憲/編 徳島県立図書館 1991当館所蔵呉郷文庫本のマイクロフィルムより製本)
- 【B】阿波誌 (T209フシ756佐野之憲(藤原憲)〔旧阿波藩〕/編 笠井藍水/訳 歴史図書社 1976.3『阿波志』旧阿波藩編纂の和訳。 『阿波誌』笠井藍水訳(1932年刊)の複製本)
- 【C】徳島市史 第4巻 (T210トク4-41120徳島市史編さん室/編 徳島市教育委員会 1993.10)
- 【E】日本歴史地名大系 第37巻 徳島県の地名 (T290Lヘイ422平凡社 2000.2)
- 【F】徳島近代史 明治から大正へ 2 (T209.6トク32-2101-102徳島新聞社/編 徳島県出版文化協会 1976)
- 【G】四国におけるキリシタン禁制政策の展開 徳島藩を中心として (T190ハン184,191板東英雄/著 教育出版センター 2011.6)
- キーワード
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- 元三大師、 松巌寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333830