レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月20日
- 登録日時
- 2013/10/21 00:05
- 更新日時
- 2013/10/21 00:21
- 管理番号
- 20131020-5
- 質問
-
解決
伊藤仁斎について知りたい。
- 回答
-
伊藤仁斎 【いとう-じんさい】 コトバンク
世界大百科事典 第2版
いとうじんさい【伊藤仁斎】 1627‐1705(寛永4‐宝永2)
江戸前期の儒者。古義学派の創始者。通称と本名ははじめ源吉維貞,1683年(天和3)に源佐維楨(げんすけこれえだ)と改名。仁斎は号,別号は棠隠。諡号(しごう)は古学先生。京都上京東堀川に出生。父は伊藤長勝(号は了室),母は那倍(なべ)(連歌師の里村氏)。伊藤家は京都の上層町衆で,親族,姻族には角倉了以,里村紹巴,本阿弥光悦,尾形光琳・乾山らがいる。仁斎の青年時代は儒学で生計を立てることが困難だったので,親族はみな医術を学ぶことを強いた。・・・
デジタル大辞泉
いとう‐じんさい 【伊藤仁斎】
[1627~1705]江戸前期の儒学者。京都の人。名は維楨(これえだ)。古義学派の祖。初め朱子学を学ぶ。京都堀川に開いた古義堂は、門弟三千余人を有したといわれる。著「論語古義」「孟子古義」「童子問」など。古学先生。
伊藤仁斎(いとうじんさい) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%BB%81%E6%96%8E/ (2013/10/20確認)
(1627―1705)
江戸前期の思想家。寛永(かんえい)4年7月20日、京都堀川通勘解由小路(ほりかわどおりかげゆこうじ)北に生まれる。幼名は源七、字(あざな)は源佐(げんすけ)、名は維楨(これえだ)。・・・
仁斎自身の著書としては『語孟字義』『童子問』『大学定本』『中庸発揮』『論語古義』『孟子古義』『古学先生文集・詩集』その他があり、その多くは没後東涯によって刊行された。仁斎の墓は洛西(らくせい)の二尊院(にそんいん)にある。
参考文献
加藤仁平著『伊藤仁斎の学問と教育』(1940・目黒書店)
石田一良著『伊藤仁斎』(1960・吉川弘文館)
石田一良著「伊藤仁斎」(『日本文化研究 第5巻』所収・1959・新潮社)
『日本思想大系33 伊藤仁斎・伊藤東涯』(1971・岩波書店)
いとうじんさい【伊藤仁斎】 国史大辞典
一六二七 - 一七〇五
江戸時代前期の儒学者。古学堀川学派の祖。名は維楨(これえだ・いてい)といい、字は源佐(または源助、げんすけ)。はじめの名は維貞、字は源吉、幼名を源七、通称を鶴屋七右衛門という。はじめ敬斎と号し、のち仁斎と改めた。別号を棠隠ともいう。・・・
[参考文献]
井上哲次郎『日本古学派之哲学』、天理図書館編『古義堂文庫目録』、石田一良『伊藤仁斎』(『人物叢書』三九)、木村英一編『伊藤仁斎集』(『日本の思想』一一)、吉川幸次郎・清水茂校注『伊藤仁斎伊藤東涯』(『日本思想大系』三三)、板倉勝明「仁斎伊藤先生伝」(『事実文編』二四所収)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本思想 (121 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 伊藤仁斎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000139264