レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/02/18
- 登録日時
- 2015/03/07 00:30
- 更新日時
- 2015/03/11 11:05
- 管理番号
- 6000020681
- 質問
-
解決
矢野橋村という有名な日本画家がかつて豊中に住んでいたと聞いたことがあるが、このことについて詳しくわかる本はあるか。
- 回答
-
『大阪人物辞典』(清文堂)p1190「矢野橋村(やのきょうそん)」には、日本画家で大阪南画界の泰斗、明治23年(1890)愛媛県に生まれ、明治42年来阪、日本芸術院賞・大阪市民文化賞等受賞、昭和40年(1965)没とあり。豊中市とのかかわりは言及なし。『大阪府 人物・人材情報リスト 2004 ふ-わ』(日外アソシエーツ)p3105「矢野橋村」には、上記のほか、日本南画院会長との肩書きがあるが、同じく豊中市については言及なし。
『新修豊中市史 第6巻 美術』(豊中市)を調べる。第五章「近現代の美術」第一節「豊中の近現代」1「明治・大正から昭和への歩み」p356-357に、のちに豊中市美術協会の設立等に関わり活躍した下記の作家が大正期・昭和期前半に豊中市域が住宅化するにとつれ移住・勤務するにいたった経緯が簡単にあり。
日本画:幸松春浦、原田美智恵、湯田寛、鶴崎熊太、松本郭、矢野橋村
写真家:手塚粲(てづかゆたか)、杉本一郎、金澤基雄
漫画家:手塚治虫
ファッション・デザイン:小出(木ノ本)敏子、
洋画家:小出三郎、野村廣太郎、赤松麟作、今村市久
書家:水嶋山耀、西田王堂
鋳造家:今村久兵衛
彫刻:新宮晋(豊中生まれ)、今村輝久
こうした作家たちと昭和30年(1955)の豊中市美術協会設立・豊中市美術展発足の関わりの記載がp358-367「豊中市美術協会の設立とその後」にあり、p362には、豊中市の場合は矢野橋村・幸松春浦・西田王堂など美術協会設立にあたって斯界の経験者が多数、しかも日本画・洋画・彫塑・工芸・書・写真にわたって各界に適任者がおり、特に大正13年から昭和19年まで枚方市において私立大阪美術学校を運営してきた橋村がいたことで協会設立が容易となったに違いないとの記載があり。橋村は参与として協会設立に参画し、没する前年まで審査員を務めたとのこと。
p374-375「矢野橋村」に豊中との関係が詳しく、当市へは昭和19年の私立大阪美術学校閉鎖の際に南刀根山に移住したのが縁で、その後清風荘に転居しそこで没したことなどが書かれている。カラー口絵などに橋村の絵もあり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本画 (721 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 矢野橋村(ヤノキョウソン)
- 日本画(ニホンガ)
- 美術(ビジュツ)
- 南画(ナンガ)
- 豊中(トヨナカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000168673