レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月07日
- 登録日時
- 2021/02/14 16:09
- 更新日時
- 2021/03/11 18:04
- 管理番号
- 広県図2020080
- 質問
-
解決
広島県廿日市市地御前扇新開のオオドテについて
・オオドテの石積みができた年・月,施工業者,費用
・オオドテが石積みからコンクリートになった年・月,施工業者,費用
を知りたい。
- 回答
-
廿日市市地御前扇新開のオオドテの築造について記載がある資料は以下のとおりです。
『地御前ものがたり:郷土史』,地御前郷土文化保存事業/編集,2版,地御前地区自治会,2016【H291.22/シコセ116ア】
p.78 扇新開・塩田跡地
「扇新開は、文化12年(1815)に地御前村で立案され、翌13年8月から工事が始まり9月8日に潮止め工事が完了した。この造成には、地御前村民や雇い夫など619人の他に五日市・大野など16ヵ村から284人の加勢夫が参加した。」
『廿日市町史 通史編 上』廿日市町/編集,廿日市町,1988【H21.22/H423/6ア】
p.829-833 扇新開
p.829-830 「築調費用は銀高で六三貫三八〇匁余とされた。ところが、(略)堤防の長さや高さをけずり、四七貫八五五匁二分まで圧縮させた。(略)しかし結果的には、築調費用はこの範囲ではとてもおさまらず、後年に至って村政上の大きな課題となっていく。」
p.830 「築造工事は、文化十三年(一八一六)八月より開始された。」
p.831 「扇新開の潮止め工事が完了したのは文化十三年(一八一六)九月八日であるが、(略)」
p.834-835 後期新開の特色
『図説廿日市の歴史』廿日市市/編集,廿日市市,1997【H21.22ハツカ97ア】
p.80-81 新開の開発
p.173-177 年表
扇新開が完成した1816年以降を確認しましたが,コンクリート化に関する記述はありませんでした。
『廿日市の歴史』廿日市町郷土文化研究会/編集,廿日市町郷土文化研究会,1966【H21.22/H422ア】
p.59-62 海へ延びる新開地
p.60に新開地の開拓が年代順に記載されており,扇新開についても記述があります。
p.153-159 郷土史年表
『佐伯郡誌』佐伯郡教育会/編纂,臨川書店,1985【H291.22/Sa14b】
p.500-549 町村誌
p.526-527 地御前村
p.527 「(略)文化十四年(紀元二四七八)には扇新開を築調せり」
次の資料を確認しましたが,オオドテに関する記述はありませんでした。
『管内概況調書 昭和42年11月13日』[広島県廿日市土木建築事務所/編],廿日市土木建築事務所,[1967]【H51.2/H73/42】
オオドテのコンクリート化に関する記載は見付かりませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『廿日市町史 通史編 下』
p.901 図Ⅷ-124「新開地略図」,図Ⅷ-125「地御前扇新開のオオドテ」
『広報はつかいち」No.36(1963(昭和38年)7.1号)
p.4 「地御前漁港の整備と臨海造成地の計画」
- NDC
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- 建設工学.土木工学 (510 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 廿日市
- 新開
- オオドテ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000293829