(1)「禦」という漢字について調べる
自館資料ブラウジング
①『字統 新訂』(白川静/著 平凡社 2004)4030002424
P194「禦」について解説。
御は禦の初文。
祟りを防ぐ祭祀の意味で用いられていた「御」の字が、多義的に用いられるようになったため、
元々の意味を示すために作られた字である。「防禦」の意味に限定して用いられる。
初文(しょぶん)の意味。『広辞苑第七版』(新村出/編 岩波書店 2018)
P1476「ある漢字が初めて作られた時の字体。」
御(ぎょ)の意味。『広辞苑第七版』(新村出/編 岩波書店 2018)
P753「天子に関係ある事物に添えて敬意を表す語。」
②『大漢和辞典 修訂版 巻八』(諸橋轍次/著 大修館書店 1986)5030042583
P496「禦」漢字の意味として、まつる、災いのないように祈る、ふせぐなどがあるが
用例には印についての記述はなし。
(2)皇帝印について調べる
Google検索
キーワード「清朝皇帝印 歴史」
PDF「故宮博物院編 『明清帝后寶璽』」がHIT
上記片岡一忠氏の書評論文の説明抜粋文
「玉璽は皇帝支配の表徴である。本書は現在、北京の故宮博物院の所蔵にかかる明清両朝の皇帝の
玉璽をはじめとして、皇后・妃等の印(寶印),皇帝・皇后等の徽冊・廟號謚 號冊・謚號責璽、それに鐵券、
符牌(写真)(以下、本書に拠って「寶璽」と総称する)を収録しそれに簡単な解題を付したものであ
る。
(中略) 中国史上最初の統一王朝である秦が印章を支配体制のなかに位置づけて以来,寳璽(玉璽)・
官印の制度・規定(印制)は歴代王朝における皇帝支配の表徴として発展したが、明清両朝は、それが
最高の段階に発達していた。その寶璽・官印が清朝史料としてどのように利用できるか、検討するに
値すると考えるものである。ただ、明朝と清朝の賓璽の現存状況は大きく異なっている。本書は
そのことを証明するものである。また、寶璽の現存状況は当然のことながら档案をはじめとする文
献史料の残存状況と軌を一にしているといえよう。」と記載あり。
上記より、県内に『明清帝后寶璽』が所蔵あるか確認
埼玉県内図書館横断検索
『明清帝后寶璽』なし
「片岡一忠」4件HIT
③『中国官印制度研究』(片岡一忠/著 東方書店 2008)4-497-20805-2
P257~ 第Ⅱ部 清朝の官印制度
P259~「天命」ヌルハチ、「崇徳」ホンタイジ、「順治」フリン時代からの
清朝時代の政治の流れが要約されている。
P261 「太祖ヌルハチ時代の官印の存在を確認できていない。むしろなかったといってよい」と
記述あり。
P263~「崇徳」ホンタイジについての記述、その時代の官印についての記述あり。
P285~ 乾隆十三年の改編 「乾隆十三年(1748)、御宝をはじめとする印が造り替えられた」
との記述あり。
P290 玉璽印文の一覧があるが、「禦」や「御」の字はなし。
P298 「禦」を使用した印の説明あり。「防禦」正五品官という職務の印。
P295~乾隆十三年の印制改編きめられた八旗関係の印のひとつ。
P401~【附篇Ⅲ】紹介:故宮博物院編『明清帝后寶璽』があるが、図版や印影などは記載なし。
Bingで画像検索
キーワード「皇帝印 禦」
インターネット記事①
皇帝印8600万円で落札/康煕帝の「玉璽」の記事あり。(四国新聞 2003/07/13)
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/photo.aspx?id=20030713000169&no=1 この写真では「御」となっている。康熙帝の印が全て「禦」となっているのではないことを確認。