レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/10/20
- 登録日時
- 2012/12/29 02:00
- 更新日時
- 2012/12/29 02:00
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-100400
- 質問
-
解決
伊達氏に仕えた良学院栄真について,調べています。関連した図書,論文がありましたら教えてください。
- 回答
-
良覚院栄真に関する記述のある資料をご紹介します。ただし下記資料では,「良学院」ではなく「良覚院」と記載されています。
資料1 平 重道編『伊達治家記録 1』宝文堂, 1972【K205/タ3/1】
p.540 「(略)今度会津攻取リ玉フノ義,関白殿へ仰上ケラルタメ,修験年行事良覚院栄真御使僧トシテ,富田左近将監殿一白,羽柴筑前守殿利家・施薬院全宗マテ御書ヲ以テ,会津葦名方年来ノ御意趣ニ依テ攻取リ玉フノ趣仰進セラル(略)」
p.555 「(略)此日比京都ヨリ修験年行事良覚院栄真帰着,富田左近将監殿一白・羽柴筑前守殿利家・施薬院全宗ヨリノ返翰持参ス(略)」
資料2 田辺 希文[ほか]編平 重道解題『伊達世臣家譜 (1)』宝文堂, 1975【K288/タ6/1】
pp.181-182 「(略)良覚院(老号文球院)栄真,始号慈雲山,貞山公在米沢城之時,給田二百四十五石,昵近左右,毎軍旅従之,称之相伴咄衆,天正十七年十二月加賜田五十石,為三百五十石,後毎歳賜国中順礼役三千貫,其他賜永代役若干(略)二十年二月在肥州名護屋之役,賜親書,命使岩出山(不知其故)其他有所賜黒印等数通云,栄真者為当院開山,従此依頼,世賜封内霞,(凡所□其霞納子修験神職諸檀家農民皆納税)為年行司職,賜着座班云,栄真無子,慶長中公偶臨于龍宝寺之日,命栄真侍食,是時見小僧給事,公問其父住僧,対曰窪田正右衛門隆次之子也,公乃乞之,使栄真養為子(略)」
※本文中には返り点がついています。
資料3 藤原勉「良覚院の霞(上)」『仙台郷土研究』仙台郷土研究会, 1939.7, 9巻7号,pp.8-9【PK207/セ】
資料4 藤原勉「良覚院の霞(下)」『仙台郷土研究』仙台郷土研究会, 1939.8, 9巻8号,pp9-10【PK207/セ】
本山派の良覚院と羽黒派との間で起こった争いについて,記述されています。
栄真についての記述は資料2から引用します。
「(前略)良覚院を開山した栄真は役ノ行者の流れを汲む修験道即ち本山派の修験で,その先祖時代から修験として伊達家に仕えていたらしいが,それが栄真の時代,たまたま貞山公のお側近く奉仕するようになってはもはやただの修験ではなく常にお咄相手相談相手として,機密の事にも参与したらしいことは,世臣家譜代に「二十年二月在肥州名護屋之役賜親書,命使岩手山不知其故」とあるのによっても知られる。(中略)さて貞山公はこの良覚院に封内の霞,その本山派たると,当山派たると,羽黒派たるとを問わず全部,これを与えて三派の支配者たらしめようとしたばかりでなく,封内の僧侶,神職,修験,檀家,農民等をして凡て良覚院に対して入税せしめようとしたのである。(後略)」
下記資料にも,栄真についての記述はありましたが,主に資料2からの引用です。
資料5 『宮城県史 12 学問宗教』pp.288-303
資料6 『仙台市史 7』pp.566-567
資料7 「仙台藩における本山派修験の組織について」 『文化』63巻1/2号pp.42-58
資料5 宮城県史編纂委員会編『宮城県史 (12)』復刻版.宮城県史刊行会, 1961【K201/ミ1/12】
資料6 仙台市史編纂委員会編『仙台市史 (7)』復刻版.万葉堂書店, 1975【K225/セ1-5/7】
資料7 伊藤辰典「仙台藩における本山派修験の組織について」『文化』東北大学文学会. 1999.9, 63巻1/2号【PK207/セ】
なお,【】内は当館請求記号です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 各宗 (188 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 良覚院, 栄真(リョガクイン, エイシン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000117671