レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月18日
- 登録日時
- 2012/09/06 15:08
- 更新日時
- 2012/09/06 15:08
- 管理番号
- tr237
- 質問
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解決
日光にある神橋は、昔から通行が許されていなかったのか。
- 回答
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『知られざる日光』(読売新聞社宇都宮支局/編 随想舎 1994)のp26-27に神橋の話がありますが、そこに以下のような記述があります。
参道は、寛永十三年(一六三六)の大造替で整備された。(略)将軍と朝廷派遣の例幣使、神事以外の通行を禁じ、通常は工事用に架けられた仮橋(現在の日光橋)を使うようになった。(中略)この長年の慣例を破り、観光対策で登橋が有料開放されたのは昭和五十七年春。だが、通り抜けは今も禁じられている。
また、『日光 社寺と史跡』(沼尾正彦/著 金園社 1975)のp55には、以下の記述があります。
昭和47年9月26日、寛永13年以来、実に三百三十六年ぶりに神橋の一般人通行の禁が解かれ、昭和57年3月に迎える二荒山神社男体山頂鎮座千二百年祭行事の一つ登橋の制度ができ、とにかく神橋の上に登ることが許された。
これら資料によると、寛永13年から少なくとも昭和47年までは、一般の人々は通行不可だったようです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 神橋
- 通行
- 登橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000111012