レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年05月21日
- 登録日時
- 2019/07/26 10:41
- 更新日時
- 2019/07/26 10:41
- 管理番号
- 岡崎-381
- 質問
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大樹寺の塔頭で廃寺になった寺院と、なくなった時期を知りたい。
- 回答
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塔頭について書かれた資料はいくつかあるが、廃寺になったことが詳しく書かれているものはなかった。
【資料1】「幕末に十院あった塔頭は、移転して独立寺院となっている回向院、忍阿院、善揚院の外は廃止され、その跡地は現在岡崎市立大樹寺小学校の敷地となっている。」と記載あり。
【資料2】【資料3】幕末時頃の塔頭十院が載っている。
【資料4】参河みやげでは十院から二ヶ院を減じており、これが維新当時の院数としている。
【資料5】中世~近世の塔頭の変遷がわかる。
幕末以降に減った七院はわかったが、何年になくなったのかまではわからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 『大樹寺歴史資料目録』愛知県教育委員会/編 -- 愛知県教育委員会 -- 198203 -- (【資料1】p.4)
- 『大樹寺の歴史』新行 紀一/著 -- 大樹寺 -- 198304 -- (【資料2】p.67-71)
- 『岩津町誌 [復刻版]』加藤 錫太郎/編 -- 国書刊行会 -- 198106 -- (【資料3】p.213-216)
- 『岡崎市史 第八巻』岡崎市役所/編 -- 名著出版 -- 197210 -- 名勝旧蹟及風俗編 (【資料4】p.567-568)
- 『新編岡崎市史 3 近世』新編岡崎市史編集委員会/編集 -- 新編岡崎市史編さん委員会 -- 1992 -- (【資料5】p.454-460)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000259089