レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/4/17
- 登録日時
- 2007/11/21 02:11
- 更新日時
- 2007/11/21 02:11
- 管理番号
- 福島地域0108
- 質問
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解決
[ 会津]若松市最初の平民市長、佐治幸平氏の記載資料および父親に関する記述のある資料がみたい。
- 回答
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佐治幸平は第3代の若松市長で、その任期は明治36年11月26日-39年9月16日。初代秋山清八、2代斎藤庸は士族なので、最初の平民市長となる。 出身地の会津高田町(現会津美里町)の町史に父親を含めたやや詳しい記述がありました。佐治幸平自身に関しては『会津人物文献目録』が網羅的に把握していますので、そちらをご紹介します。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 会津人物文献目録 2 (・p139に佐治幸平の項目あり。掲載資料として『現今日本名家列傳』p776、『日本の歴代市長 第1巻』p441(*3代市長 任期明治36年11月26日-39年9月16日)、『会津大事典』p259(五十嵐勇作執筆)の記載あり。当館請求記号、資料番号は、L281.6/N3/1-2、100033034)
- 会津人物文献目録 (・p146-147に佐治幸平の項目あり。生没年月日(文久1年11月12日-大正6年8月13日)4代目若松市長。父・幸左衛門金麗・次男。掲載資料として『若松市史 下巻』p599、『会津高田町誌』p949-955、『福島県史 22 人物』p216-217、『福島史学研究 復刊第16号』p43-51 (五十嵐勇作著「佐治幸平と民権運動」)、『福島民権家列伝』p285-290、『福島県人名辞典』pさ38の記載あり。当館請求記号、資料番号は、L281.6/N3/1、100063908)
- 会津高田町史 第7巻 (・p711-712に佐治幸平(さじこうへい)の項目あり。「幸平は父五代目幸左衛門の二男として生れた。佐治家は地方の大地主で、家は代々油屋の屋号で栄えてきた。味噌醤油の醸造を生業としていた。明治になって新しい制度が出来ると、会津銀行高田出張所や郵便局がこの家に設けられた。彼の生れたころは幕末動乱の時代であり、六歳の時から会津藩士栃木南?のもとで養育された。」当館請求記号、資料番号は、L217/A8/1-7、100832518)
- キーワード
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- サジ コウヘイ
- 佐治 幸平
- ワカマツ シチョウ
- 若松市長
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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若松市成立は明治32年4月1日。初代市長の秋山清八は同年7月26日就任。それまでの間、海老名季昌が市長事務取扱として、市制発足の実務を行った(『会津近代の始まり 復興、そして若松市の誕生』p47)。そのため一部には、海老名季昌を初代市長とし、3代市長佐治幸平は4代と記載されている資料があった。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000039633