レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/10/13
- 登録日時
- 2010/10/26 02:00
- 更新日時
- 2011/08/29 17:23
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-27
- 質問
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解決
同じ“おはらめ”でも大原女と小原女はどう違うのか。
- 回答
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資料によっては大原女=小原女となっているものもありますが,現在の京都市左京区大原から京の町中へ行商に出かけていた女性を大原女,同じ左京区でも八瀬から行商に出かけていた女性を小原女といいます。また八瀬では,大原の「大原女」と八瀬の「小原女」を区別して各々「おおはらめ」,「おはらめ」と呼びます。(大原では「大原女」はそのまま「おはらめ」と呼ぶ。)
大原女はその装束が特長的ですが,大原女と小原女では少し違います。
【大原女】 【小原女】
着物を短くしてひざを出す。 ひざを出さない。
模様のないたすきを使う。 模様入りのたすきを使う。
白手ぬぐいをかぶる。 紺色でふさがついている手ぬぐいをかぶる。
【資料1】によりますと,中世,大原郷に住み「ふすべ木(大原木)」を売り歩く女性は,すべて“小原女”と呼ばれたもようです。その後大原・八瀬など京の北方から町中へ大原木を売りに来た女性たちは,在住の場所を問わず“小原女”または“大原女”と呼ばれるようになり,近世以後になって大原の女性を大原女,八瀬の女性を小原女と区別するようになったようです。
- 回答プロセス
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●大原女に関する資料を探す
【資料1】中世の文献「七十一番職人歌合」には“小原女”とある~<中略>~近世以後になって大原の女性を大原女,八瀬の女性を小原女と区別
●小原女に関する資料を,地域(八瀬,左京区,洛北)をキーワードに探す
【資料2】八瀬では大原女と小原女を区別するために,それぞれ「おおはらめ」「おはらめ」と呼び区別する。小原女の正装をした八瀬の女性の写真あり。
【資料3】大原女と小原女の服装の違いについてあり。八瀬の女性も大原の女性も山端という地域を通って京都(都)へ行くが,京都(都)の人にはその区別がつかなかったのか,山端を通ってくる女性をみな“大原女”と呼んだよう,とあり。
【資料4】“大原女” “小原女” それぞれについて記述,写真あり。
【資料5】古代の小原女,現代の小原女の図あり。
【資料6】八瀬小原女の女性の記事,写真
●京都の女性史から資料を探す
【資料7】通常「大原女」といわれているが,大原の女性を「大原女」,八瀬の女性を「小原女」と地元では呼びならわしている。また昭和29年に八瀬農協の婦人組合員で小原女の組織化をした旨の記述あり。
【資料8】小原女と大原女は同じ。昔は小原女が使われたらしいが,大原という地名との結びつきを考えて最近ではもっぱら大原女を使う,とあり。大原と八瀬の装束の違い,八瀬農協おすみつきで行われている小原女行商について記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 家族問題.男性.女性問題.老人問題 (367 8版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 8版)
- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 【資料1】『家と女性の社会史』 (京都橘女子大学女性歴史文化研究所編 日本エディタースクール出版部 1998) “大原郷と大原女” p41,65
- 【資料2】『京都発見 3 洛北の夢』 (梅原猛著 新潮社 2001) “赤前垂と貞明皇太后” p45~49
- 【資料3】『洛北八瀬』 (中村治著 八瀬小学校創立130周年記念事業実行委員会 2008) p8~10
- 【資料4】『おこしやす左京』 (おこしやす左京編集委員会発行 1999) p23,32
- 【資料5】『八瀬校百年史』 (八瀬小学校創立百周年記念事業実行委員会編・発行 1977) “小原女のこと ” p82~84
- 【資料6】雑誌『太陽 1994年3月号』 (平凡社 1994) p42~43
- 【資料7】『京の女性史』 (京の女性史研究会編 京都府発行 1995) “小原女の装束は伝統の誇り” p98
- 【資料8】『京の女人風俗』 (京都新聞社編 河出書房新社 1963) “大原女(小原女)” p17~20
- キーワード
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- 大原女
- 小原女
- 販女
- 大原
- 八瀬
- 行商
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000072731